私の過去も更新してくれ

免許更新に来ている。

さっき免許用の写真を撮ったところなのだが、レンズに映る自分の顔を見てはっとした。今日は髪を後ろに束ねているが耳の上の髪の毛が変に飛び出していて、とにかくなんかすごいことになっていて、でも免許証の写真撮影は映えとか写りとか気にしている暇はなく流れ作業なので当然直す暇もなく、ああ私は今後5年間この耳の上から髪の毛が飛び出た写真を自分の証明として提出するんだなぁと妙に切ない気持ちになった。お母さん、切ないってきっとこういう気持ちだよ。今の私にはわかるんだ・・

 

番号札を渡された。204だった。ついこの間聞いた好きな人の誕生日は2月24日だった。講習のために座った座席の番号は44だった。ミスタなら絶対に席を変えるところだが今の私はそんなことはしない。なんて言ったって耳の上の髪の毛が飛び出たまま免許用写真を撮るくらいの人間だからな・・

 

今日はこの後、お母さんのアクセサリーの査定に行く。金が増える可能性がある話は楽しいから好きだ。もし金額が低くても、なんでも鑑定団の出張のコーナーでの「じゃがじゃん!2000円〜!!」っていうのを脳内で流せば笑い飛ばせそうだ。なんでも笑い飛ばしていこう。今後免許証を提示するたび耳の上から髪の毛が飛び出たままの自分の顔写真を見ながら恥ずかしい気持ちになったとしても、それさえも笑い飛ばそう。

 

それにしても笑い飛ばすってすごい日本語じゃない?だって笑って飛ばすんだよ?何を飛ばすんだよ。笑ったまま自分が飛ぶんだとよぉ、笑ってる場合じゃねぇよな国語の先生よぉぉ〜〜〜〜

車から降りたくない。

池田さんの本に、人類は進歩しているのか?人類にとっての進歩とはなんなのか?という話が載っていた。最近読んだばかりなのに記憶力が低いせいで核心的な文章を覚えられない。進歩とは便利になることなのか?みたいな話だったかな確か。ただ、現代はとにかく情報に溢れているから、それに対して自分で考えることをせず情報に振り回されているようでは、それは進歩ではなく退化してるんじゃなかろうか、みたいな。

こうしてブログを書いているのはiPhoneを使ってだが、最近時々、携帯電話を手放したら楽に生きられるのだろうか、と少し思う。ジョジョの単行本のカバーに書いてある荒木さんの文章に、僕は携帯電話を持っていないという話が書いてあったが、今も荒木さんは携帯電話を持っていないのだろうか。さすがに持ってるのかな。

SNSは疲れる。でも私の場合、リアルな知り合いと繋がっているものはほぼ無いので大分楽になってきたなというか、背負ってるものが軽くなってきているなと思う。見たいものを見るためだけにアカウントを作って、自分が見たいと思うからフォローしたりするのにいつの間にかそれ自体にうんざりしていて、見たいも見たくないもそのときの気分で違うし、これでただ知り合いだからという理由だけで特に見たくもない投稿が目に入るような状況は耐えられないなと思う。部屋にいるときはできるだけiPhoneに触りたくない。その時間に本を読んだり漫画を読んだり映像を見たりしたい。くだらない誰かの意見や投稿にイライラする暇も与えたくない。麻痺したくない。考えることをやめたくない。

半径5m以内にいる人のことだけ考えていたい。本来人間の感覚はそのくらいが限度だし、人間自体は変わっていないのだから、そこは諦めるしかないよね。世界中にモテまくっちゃうつまらない女になんかなりたくない。

覚悟はいいか?俺はできてる。

大森靖子さんが大好きだから、前は大森さんみたいな文章が書きたくて書きたくて仕方なかったんだけど、今はもうあきらめている。だって私大森さんじゃないし… 私の文章は私にしか書けないから、その尊さを大事にすることにした。オリジナルなんてどこにもないかもだけど、私の存在は紛れもなくオリジナルだからね。

 

コンテンツを「2度みる」ことの大事さを最近痛感している。漫画にしろ映画にしろアニメにしろドラマにしろ本にしろ、2度みたときの理解度の違いに愕然とする。1回みたり読んだりしたものをもう一度読むと、理解度が全然違う。どんなに単純なストーリーに見えても、2回目にみると発見がたくさんあったり、意外と忘れてる展開もいくつかあって得した気分になったりする。

今日は池田晶子さん著「14歳からの哲学」を読み終えた。私は成人済みだが、これ本当大人こそ読むべき本だなと思った。これまで哲学や思想にほぼ触れたことのない私にとっては、世界の真理を知ってしまったような驚きと戸惑いと喜びがあった。この本に書いてあることは、世の中にたくさんある考え方の一つに過ぎないんだとは思うけど、私にとってそれは紛れもない真理のように見えてしまって、我ながら危険かなと思っている。この本こそ何度も読んでしっかり理解したい。挫折したらこの本を何度も開こうと思った。

前髪がいつも浮く

それにしても過去の私のブログは本当に暗いな… サムネだけでも泣きそうになる。そんなんでよく生きてこれたよなぁ。えらい。

 

ついさっき、好きな人にあげる誕生日プレゼントの鬼滅の刃カロンを注文した。クール便の送料バカ高くてびっくりした。社会人だからお金も少しはあるしカードもあるからそのくらいは大丈夫なんだけど。気分屋で照れ屋な上あまのじゃくという厄介な性格なので、彼の誕生日までにこのテンションが保たれるといいな。もし直前で悪いことが起きてプレゼントなんてする気になれなくなったら、そのときはお母さんとの楽しいコーヒーブレイクのお供になってもらおう。

 

好きな人と今後どうなりたいのか、わたしは果たして恋人になりたいのか結婚したいのか、結構考えているのによくわからない。でも、その人のことがとても好きだ。もっと仲良くなりたいし、これからも仲良くしていたい。友達でもいいのかもしれない。

男女にとって最良の関係が夫婦だとは、私は思わない。親友でもいいと思う。もっと曖昧な関係でもいいのかもしれない。関係に名前がなきゃいけないわけじゃない。それはわかっているけど、その辺りのことをうまく整理するのが未だ難しい。難しくてできないから、これまでの私は過程をすっ飛ばして結果にこだわって撃沈したりしてたんだな。

最近、他人を変えることよりも自分を変えることの方が簡単だと心から思えるようになった。これまでの私は、他人との相対的な関係を前提として自分のことを認識していたんだけど、違うんだ。自分こそ絶対的な存在なんだ。だから好きな人に対しても愛されたい好かれたいと思っても無駄なので、自分から感謝や好意をどう伝えるかを考えられるようになった。恋人になりたいのかどうかはよくわからないけど、好意は伝えたいから、はっきりとは言わなくても態度や言葉遣いや話の内容で伝わってるといいなと思う。

好きな人とは同じ職場だ。仕事の先輩。お互い別の会社から来ている派遣社員だけど、私に色々なことを教えてくれる。人は黙っていても育たない、ある程度環境を用意してあげるのが大事だと言っていた。私は素直なので、それを聞いていい先輩だなと思った。私としても心置きなく育つことができるなと思った。

好きな人へ好意を示すことは、考えてみるといいことばかりだ。仕事がしやすくなるし、遠慮なく色々なことを教えてもらえるし、趣味の話もできるし、仲良しが増えるのは嬉しいし。全部自分本位だ。でもそういう考え方しかできないから、結果人を思いやれているのならどうだっていい気がする。

 

私は当日まで秘密にするっていうのが苦手だから、誕生日当日まで黙っていられるかが今から心配だ。

挫が取れた

久しぶりに自分のブログを開いてみたら、たくさんの死っていう字が買いてあってめちゃめちゃ怖かった… なんかもううろ覚えだけど、確かこのときは頭に死ぬことしか思い浮かばなくて、死ぬしかないって心の底から思い込んでたときだった気がする。今思えばいい思い出、、にはならないな絶対。お母さんが警察を呼んでくれて、おまわりさんに囲まれながら警察署に行って、お母さんが来るまで独房みたいなとこで少し寝たんだよな… あれは9月とかかな。結構最近だな…

 

今、人生で一番幸せだって胸を張って言える。独身だし、恋人いないし、お金もないけど、幸せだ。ずーっと幸せだったような気がするけど、そういえば一昨日の私はすでにおかしかった。幸せなときは昨日も一昨日も幸せだった気がするけど、少し前の私は意外と幸せではなかったりする。だから、劇的に何かが良くなったわけではないし、もちろん変な薬を飲んで世の中が素敵に見えているわけでもないし。

別にこのブログをハッピーエンドにしたいわけではない。でも、基本ここには悪いことしか書いていなかった記憶があるので、たまにはいいことも、というか普通のことを書いてみたくなった。少し前、マッチングアプリで出会った人と長文のメールのやりとりをしてて、私って意外と文章書けるなと思いもっと書きたくなったってのもある。

何度も書くが、今の私は史上最高に幸せだ。でも、少し前の私は不幸のどん底だった。だから、置かれている状況がすごく良くなったわけではないんだ。多分、私が変わったんだ。それが実は、すごく大切なことだったんだ。

 

私が今感じているのは、幸せというか、気持ち悪い気もするけど万能感だ。自分が、自分のことを心から愛せているんだ。自己肯定感を、心で理解できているんだ。そんなこと、26年生きてきて生まれて初めてだ。26歳で自分を愛せるようになったのが早いのか遅いのか、そんなのわからないしどうでもいい。周りを見れば、それができていなさそうなおっさんおばさんはたくさんいるからだ。

 

眠くなってきたから今日はこの辺で。

自分の幸せをじっくり見つめて、何が悪い。

死を書くだけ

死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか

死のうか

久しぶりに日記を書いてみる。日記を書きたくなるときは大抵死にたいときなので、決して嬉しい日記ではない。今も、毎日死にたい。死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくてたまらない。67kg。今の体重。笑ってなどいられない。生きている才能もない。生きている価値もない。生きている理由がない。こんな体で、明日も人様の前に出なきゃいけないなんて地獄。仕事もできない。何もできない。死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死のうか死ぬ勇気もないどうしたらどこへ行けばもうわからない