猫が言葉を持たないのは不幸なことか?それこそ人間のエゴじゃあないか……

大人になったなぁと実感したことがない。

 

仕事を持ったら、車を持ったら、一人暮らししたら、お酒を飲んだら、大人になったなぁと実感するのだろうと思っていたのにできなかった。仕事を持っても、車を持っても、一人暮らししても、お酒を飲んでみても、自分は自分でしかなくて、悲しいくらいどこまでも自分で、最近はそれがなんだか嬉しい。何をしても自分はついてきてくれる。頼もしい、自分。大森靖子さんが前に言っていたけど、「大人とは、大人モードのときに大人すればいいよね」自分が世間を見渡したときに「これが大人…?」という対応を真似して自分でやってみてるときが一番大人だなぁというか、大人の対応をしているなぁと思う。

 

自分にしっかり向き合うことこそ無私の境地に立てるってなんか矛盾してる気がするけど、それは違った気がする。池田晶子さんの本、もう一回読み返したいな。

 

今日は好きな人とラーメンを食べた。美味しかった。炙った大きなチャーシューがどーんと乗った迫力の見た目、小ネギともやしがどっさり乗っていて、味玉もついてる、満足度が高い味噌ラーメン。食事というかこれは闘いだ!!と食べているうちに気持ちが昂り、好きな人の前にも関わらずラーメンにかぶりつき、汗を拭き拭き完食した。勝った……!!私はラーメンに勝った女……!!

半日一緒にいてみて、やっぱりこの人のこと好きだなぁと思った。正直なところ、嘘やごまかしをしないところ、引っ張っていってくれるところ、とても良い。

池田晶子さんは本の中で、「口があれば好きだと言えるし、性器があればセックスはできる」と書いていた。どうして世の中の人々は「好きです。付き合ってください。」の一言にこだわるんだろう。言葉を意識した方がいい場面はもっとたくさんあるのに、「好き」の一言がほしいのなんて、浅はかすぎる。本当に付き合ったら、もしくは結婚したら、「好き」以上に重要な言葉を言い合わないといけないし、ほしい言葉はどんどん増えるんだから、ぶっちゃけそここだわらなくても良くね?と思ってしまう。

告白したら「最初から友達でい続けるつもりだった」と言われ結果フラれた、という話がある。でもさ、人間関係において友達になるにしてもある程度好意はないと友達になれないし、「同じように好意はあるけど、この人は友達、この人は恋人」という棲み分けがよくできるなと不思議に思う。みんな器用なんだな……

男女の友達が成立しないなら、男女はお互いのことを性対象としてしか見られないってこと?そんな馬鹿馬鹿しいことある?

私自身、好きな人との今後のことを考えないでもない。今の自分は「好き」という一言を軽々しく言わずに好意を伝えるというのを一生懸命やっていて、それは間違っていないと思う。一番大事にしたいのは、仲良くし続けることだ。仲良くなるというのは割と簡単だ。しかし続けるのは難しい。友達の間柄であっても、一緒に過ごす回数が増えるほどボロが出る。それでも一緒にいると楽しいから一緒にいる。それには双方の努力がある程度必要だ。

 

3月末には映画を見に行く約束もしている。なんとかそれまで持ち堪えられますように。