ソリッド

言い争うことなんかない、仲良くすることだけ考えればいいんだ。わかってもらえた、もらえなかった、通じた、通じなかった、片思いだったとか、相手の受け取り方までは私の支配領域には無いんだし、こればっかりは本当に仕方ない。自分の全部を相手にさらして、それでもただ苦い顔をされてスルーされても、これまでもそんなことばっかだったから、多分諦めるか不感症になるか、一番は自分から傷をつけるようなことしなくても承認欲求を常に満たすことができていればいいんだろう。ただその境地に達するにはまだ私は若過ぎて、達観できないし、それでもいつか、悪趣味を誇るのではなく全てを許して受け入れてあわよくば好きになって、自分が一番幸せな状態を環境を作り上げたいのです。

細かくいろんなイベントをチェックして、予定を立てていろんなもの予約して、そんなコツコツした準備をすることすら無理なのに、そりゃ引越しなんて到底できないなーと改めて気づく。みんなすごい。ネット見てると、遠征しまくってる人とか、1日にいくつも現場に行ってたりとか、会ったこともない顔も見たことない人達のバイタリティに勝手に圧倒されて、それができない自分が勝手に浮き彫りになってつらいから、ツイッターはインストールと削除を繰り返している。最近また入れてみたんだけど、やっぱなんか見てるのきついし、ツイッターは私の発散どころではないのでただただ情報をインプットするばかりで、一方的に勝手に傷ついたり誰かにレッテル貼ってみたりして、またそろそろ削除しようと思っている。本当は全部他人事だから、私は私のことで精一杯な状態が多分正解なんだけど、他人の動くばっかみてると自分の行動がぬるく見えてしまう。

自律神経失調症を患ったオーケンは、生きることとは関係ない無駄な知識を収集しているとき、安定しているそうだ。その言葉通り、オーケンはエッセイの中でとにかく武術に関する本をたくさん読んでいる。私にとっても読書は確かにすごくいいかもしれないと思い、最近は本を数冊買った。オーケンは、どんなに精神が不安定でも、テレビに出たり、ライブに出たり、要は仕事をきちんとこなしていたようだ。そのくらい、オーケンはそれらのことが向いていて、だからこそ仕事として続けているのだろうと思った。はて私に向いていることとは、、、?バイトしてた頃は、どんなに調子が悪くても接客は好きだったなぁ。あと楽器の練習も好きだった。大森さんは、君の好きなことが君に向いてることだよ、って言ってた。私の好きなことって言えば歌とか、料理とか、裁縫とか、って全然今の仕事につながらないじゃないか!!強いて言えば接客… でも電話応対ではよく、親切にありがとうございますって言われる。24歳にして、まだまだ思春期みたいなこと思い続けなきゃいけないのか… それとも、道筋が10代ほどはっきりしてない分、今の方が悩みが多くて当たり前なのかもしれない。明日は1日暇だから、新宿に行って大森さんの展示でも見てこようかな。とりあえず来月までは死ねないので、なんとか生きよう。

たわわ

挫・人間のインストアライブに行ってきた。ドラムなし、アンプなし、返しはあったけど、ステージの後ろにはでっかく「アイドル」の文字。本当にここでライブやるのかな… 場所間違えたかな… でもさっきから大音量で流れているのは間違いなく挫・人間の新譜だしな… と思いながら待つこと約45分。サポートドラムはおらず、メンバーの3人が楽器を持たずに登場。挫・人間のライブは結構振りが多いので、前から2列目にいた私はかなり不安な気持ちに。周りの人達全員狂ったように完璧な踊りを披露し、振りを全然覚えてこなかった私は、まるで宿題を忘れた小学生時代の頃のような罪悪感を抱えることになったらどうしよう、、、 関係ないけど、最近チーズ味のスナック菓子を食べようとして、食べる前に匂いを嗅ぐと、ものすごく嫌な記憶が蘇る気がするのはなぜなんだろう。

曲中、いきなりみんながパラパラを踊り出したときは流石についていけなかったけど、それ以外はなんとか踊れた。間近でみたリヲくんは小柄で、首元に黒いリボンがついた白いブラウスを着ていて可愛かった。確か2つしか歳が変わらないはずだが、もっと年上に見えた。貫禄あったなぁ。

僕を滅すると書いて僕滅。みうらじゅんが言う自分無くしって、私の人生にもすごく必要なことだと最近すごく思う。それって、食べたいものを聞かれた時に「なんでもいいよ〜」って適当に答えるようなこととは違う。そういう目の前のことに対する希望を特に持たないということではなく、「わかってもらえなかった」という気持ちを持たないようにすることかなと自分では理解している。相手が受け取った私の気持ちが、私にとって不本意だったとき、それを説明して正そうとしたり、そういう受け取り方をする相手を責めたり、そういうのをやめようってことだと思う。

ただやっぱりわかってもらえないのは結構キツイし、「そうじゃない」っていう相手に対するエゴがあるのはつらい。そういうのを受け入れてくれるのが私にとっては音楽だ。極端で理屈っぽい音楽が好きだ。私のわかってもらえなさを現実の人間に差し出して受け取ってもらえなかったものでも、音楽の中でなら消化されていく。変な人のまま愛されていたい、トラウマなんか何一つ克服できなくても幸せでいたい、その気持ちを、私が好きなミュージシャンは肯定してくれる。

挫・人間も例外ではない。新しいアルバムの中の一曲に、「ごめんね それでも未来が好きです」みたいな歌詞があって。私は好きな音楽とか映画とか、人生における悲しみや苦しみに焦点を当てたものが多いから、生きることに対して絶望し過ぎてると思われがちなんだけど、それはいつもそうじゃないんだよなぁと思いながら相手の話を聞いている。手続き1つ、もしくはその前段階でつまずいちゃうし、すぐ死にたくなるし絶望するし、一番好きな人に対する態度とかもなんかよくわかんなくなったりしょっちゅうだけど、それでも「次こそは」って思わないと生きていけないし。迷惑ばっかかけるけど、相手が私に「次」を提示してくれる限り、頑張りたい。

挫・人間のライブDVDも見たけど、最後、みんな大ニコニコで、それだけでそのライブの良さが伝わってきた。音楽で救ってやる!!ではなく、今も現在進行形で音楽に救われている人が提示する音楽で、私も一緒に救われたいと思ったら、それはもうかなり好きになってしまっているんだろう。仙台のワンマン、土曜日だし行こうかな…。

 

だちょう

昨日は高円寺フェスで、みうらさんといとうさんのトークイベントを見に行ったから、楽しい1日だったはずだ。なるはずだった。8時間は寝たのにひどい寝不足で、トークイベント終了後、頭の前の方がガンガン痛み出して、目を開けているのが辛くなって、夜会う約束をしていた彼氏にラインやら電話やらでひどい八つ当たりをしてしまった。彼は私と会えなくても1人で充実した時間を過ごせるのに、私は晩御飯も食べれなくて、ちゃんと1人で過ごす時間を使いたいのに使えないのが情けなくて悔しくて悲しくて死にたかった。高円寺フェスは1人で行った。だから私は1人でもイベントを楽しみ尽くせるぞっていう自信をつけたくて、激混みのカレーイベントに行ってみたり、普段は興味のないスタンプラリーに挑戦したり、結局時間がなくなって最後まで果たさなかったり、私なりに時間を有効に使ったつもりだった。でもそれは、どうやら自分が思っているよりもずっと心身に負担になっていたようで、彼との些細なやりとりの中で突然爆発させてしまった。制御不能になってちりのようにバラバラになった私の感情はさっきまでの楽しかった大好きな2人のおしゃべりの内容を吹き飛ばし、後悔と申し訳なさと悲しみでいっぱいになってガンガンガンガン痛む脳みそを抱えながら川崎のアパートに帰った。この後悔はすごく深い傷になる。どうして楽しいまま帰れないのか、一番好きな人に暴言を吐くのか、自分が人間ではない恐ろしい化け物になったような気がした。もういっそ化け物になって嫌われるならそれもいい。

そんなわけで、みうらさんといとうさんの話の内容はあんまり記憶できなかった。それでも楽しくてたくさん笑ったのは覚えてる。あと2人の声も。2人とも、ラジオで聴くよりもずっとはっきり言葉を発音していて、いい声だなーと思いながら聞いていた。なんとなくテレビも見れないし音楽も聴けないとき、2人のおしゃべりに何回も助けられたから、生声を聴けただけで正直十分だった。みうらさんが用意したスライドには、色鉛筆で描かれた岩木山の絵も混ざっていて感動した。私が弘前で一番好きだった景色。みうらさんは今まさに山ブームがきているらしく、そのタイミングで岩木山を見てくれて嬉しかった。

高円寺フェスに行く直前、みうらじゅんが出た土曜スタジオパークの録画を見ていたら、番組の最後で視聴者から、「みうらさんはいつも自然体に見えますが、どうやって仕事のやる気を出しているんですか」という質問が読み上げられた。それに対してみうらさんは、「いつも真面目に不真面目なことをやるということしか考えていません。だから自然体っていうのはやめてます。レッツゴー不自然体で仕事してますから」と答えていて、思わず泣きそうになってしまった。そうだ、私も不自然体でいて正解なんだ。自然体の自分がどんどん見えなくなる、不自然な振る舞いをして、しっくりこなくて、それでいいんだなぁ、だってそれは仕事だし、人と対面するのであればある程度自分を作るなら当たり前なんだし。誰かとうまく時間を過ごさなくて、あのときああしていたらもっと楽しかっただろうにとか、これを言えばもっと笑ってくれたかもしれないとか、そんな後悔はせず、ギクシャクしてしまったのは仕方ないし私はレッツゴー不自然体で生きていく、このままの自分じゃとても外ではやっていけない、だからせめて仕事をするに困らない自分で明日も寮の扉を開けて会社に向かう。

 

どっちの道を選んでも不正解。正解ではなく、どっちも不正解。そんな究極の二択に、生きている中でぶち当たるのはそう珍しいことではないけど、今は割と大きな問題で二択どちらが選ばなくてはいけなくて、つらい。引っ越すか引っ越さないか。彼と一緒に住むか、寮生活を続けるか。未だに迷っているけど、それは彼には言えない。言ったけど、うまく説得できなかった。ひどい閉塞感。まるで生きてることさえも行き止まりで迷うように、行き詰まっていることに気づかされてしまう。今の部屋をもっとこうして、私が気に入るように工夫する元気はない。毎日食事を用意して、洗濯してお風呂に入って寝ることで精一杯だ。そんなんで彼と暮らしてやっていけるのか、家賃がいきなり5倍近くになってそれをこの給料で払っていけるのか、不安でいっぱいだ。それでも間取りを見て生活を想像するのは楽しいし、なんとかごまかして部屋探しを続けている。何事も気楽に、楽しんでやっていけたら、どんなに楽かという問いは、できるわけもないので私の人生には無関係だ。

とにかく早く歳をとりたい。経験がないから選択肢もない。みんな同じ空の下でーみたいなJ-POPで泣けたら、私も不感症になって何も考えずに生きられるのかもしれないけど。もう自分のどこも変えたくないし、変えられないのは十分わかったし、それを肯定してくれる音楽は間違いなく存在するのはわかっている。だから生きる。1人で生活を営めるくらい、強くなるために、働く。

きつね

今月も無事に婦人科に行って処方箋をもらって、薬局で薬をもらえた。これで来月も生きていられる。一安心だ。

スマホケースの裏に大森さんの写真のシールを貼ったんだけど、いつの間にかすっかり消えてしまった。大森さんは気まぐれだから、ハリーポッターに出てくる額縁に飾られた絵のように、シールの中にいながらどこかに行ってしまったようにも見える。少し寂しいけど、大森靖子アプリを開いて、公式ツイッターのリンクから、小さい窓だけど少しだけ大森さんの様子を伺うことができる。最近は会社のトイレで10:00頃それを開いて、おはようの挨拶文を読むのが日課だ。大森さんの語彙力は無限だ。もちろん毎日違う文で、その上どれも印象に残る、1日限定で効くお守りのような力を持った文。そして次の日も、もれなく新しいお守りをくれるのだ。とても心強い。

最近は挫・人間をおかしくなるほど毎日聴いている。だいさんからもらった音楽データの中の一つなんだけど、ハマりすぎて次の音楽に進めないほど好きになってしまった。こういうのほんと久しぶりで、はっぴいえんどの風街ろまんもおかしくなるほど毎日毎日聴いていたけど、多分それ以来ハマる音楽ってほとんどなくて、しかもちょうど同年代の人の音楽にハマったのは初めてかもしれない。ここがいい!とか、この人がすごく魅力的!とか、はっきりとした好きな部分が正直まだピンときてないんだけど、イヤホンを繋いだらとりあえず挫・人間を流してしまうので、多分好きなんだろう。多分。

ボーカルの下川リヲは二つ上だ。そして、ナゴムレコードから出された音楽が好きだったらしい。そして、筋少の大ファンで、あとは多分TOMOVSKYも好きなはず。過去の下川くんのブログを読んで、トモフのSKIPという曲の歌詞について触れていて、大感動してしまった。私も高校生のとき、 SKIPをすごく聴いていて、順応ってなんだ!!それ本当に必要なのか!?って歌うところ、つい周りに合わせてしまいがちだった自分に問われている気がして衝撃的だったのを覚えている。

私にとって、好きになって追いかけるようなミュージシャンやバンドを一つ増やすことは、言葉を選ばずに言うととても面倒なことだ。私はその人の人柄ごと音楽を好きになることがほとんどなので、好きな人が演奏している音楽じゃないと聴けない。若い人の音楽も聴かなきゃと思いつつ、ヘラヘラしたオシャレバンドの曲はあまり聴きたくないし、だからこそ、一周してもう成熟しきったバンドやミュージシャンを好きになることが多かった。そして、そういう人たちの若い時の音源を聴いて、こういう悩んだ時期もあったんだとか、このときは歌でこういうことを言っていたんだとか、昔を掘り下げていくのも好きだ。挫・人間は、人柄としてとても好きだ。しかも私と趣味が合う。だからなんとかく、打ち込みの音色とかバンドの音とか、私が好きなものにとても近い。そして下川くんの歌い方がちょびっとだけオーケンに似ている、、、オーケン好きなのは母だと思っていたけど、私も相当好きになったんだということに、挫・人間を聴いていて気づいた。少し舌ったらずで高い声で、歌ではシャウトと語りが多くて、面白い。安心して聴ける。こういう音楽が好きな人が作った音楽だから、私もちゃんと好きになれる。

 

 

普段

最近聞かれて一番返答に困った質問について考えてみた。

 

「彼氏と普段何してるの?」

 

行く場所や具体的な行動内容を答えようと、必死で考えて答えてみると、スタバ行ったり、勉強したり、映画見たり、、とかかなぁ、、、てかこれ側から見てすっごいつまんなさそうだな、私たちって普段こんなつまんないことして過ごしてるのかな、と少し不安になる。

彼といて何がそんなに楽しいか、さらによーく考えてみて導いた答えは、「ふざけられること」だ。

最近職場にリフレッシュルームなるものができて、ここ数日は連続してそこでさきちゃんとお昼を食べるのだが、まーふざけられない。もっと簡単で安くてくだらないことでゲラゲラ笑いたいのに、さきちゃんは人の悩みの話とか、文学と医学の違いとか、なんかそんな真面目な話ばっかりで、正直仕事の合間のリフレッシュには全くならん(ごめんねさきちゃ、、、)。

そういえば私、女の人の前でふざけられたことってそんなにないかも、と新たな気づきを得る。女の人って、何かをごまかそうとか、別にそうでなくても冗談に走ろうとすると、そういうのよくないよバシッ、みたいに説教する人って多くないですか、、、 私は外面がいいのでおそらく周囲の人はほぼ誰も気づいてないと思うが、ふざけるのが大好きだ。ちょっと怒られるようなイタズラとかやってみたい方だし、それでも本気で怒らない関係が築ける相手と友達になりたい。

彼氏とは笑いのツボが結構近いし、割と同じくらいの気持ちでボケたりふざけたりできてとても楽しい。

 

こんなに好きな笑いの方向性は近いのに、その他の趣味はほぼ合わない。彼の好みの方向と私の好みの方向は、ここがもう少しこうだったら好きだったかも、という具合に近いことは近い。彼は私よりも、感情を芸術に昇華させたものが好きで、私はその感情のどろどろをヒダまで表現したものが好きで。彼が私の好きなものを聴いたり見たりすると、直球過ぎて受け止められないって言われるし、逆に私が彼の好きなものを見たり聴いたりすると、なんか偉そうで鼻につく、と感じる。

だから私は、二度と趣味の共有なんか試みないぞと、失敗するたびに思うんだけど、11月末には私が大好きな仲井戸麗一のライブを一緒に見にいく予定だ。私の趣味の中では比較的オシャレだし、彼も好きなってくれると嬉しい。チャボのライブは、大学生で結構精神的に辛かった時期に見に行ったのが最後で、そのときのライブは本当に最高で、チャボが最後のMCで一言二言話した後、大音量でWhat a wonderful world が流れて号泣した思い出がある。幸せな気持ちになって、自分の存在を認められた気がして、ここにいてもいいよって。そんな大事なミュージシャンのライブを、趣味が合わない彼と見るのはとても不安だけど、また楽しい気持ちになれたらいいな。

くらし

1日1つ楽しかったことを書く、と彼氏と約束したはずのブログが、悲しかったことをつらつら書くことが最近多くて、そういうのすごく寂しいなと思いつつ、また泣きながらブログを書いている。悲しみを成仏させたくて文章を書こうかなと思うけど、楽しかったことはあんまり書かないからどんどん流れてく。後で読み返すものでもないし、別にどっちでもいいんだけど。約束全然守れてないや。ごめん。

彼氏が、私のことめちゃくちゃに嫌いになって、いつかフってくれることを心のどこかで祈っている。私は多分相手のことを嫌いになることはないと思うから。同棲も、ましてや結婚なんか、実現してしまうのがとても恐ろしい。実現したら幸せ過ぎて死ぬんじゃないかなって。その準備をしている最中に、私はまたひどいことを言ってしまった。1週間前まではあんなに楽しそうだったのに、って、また気分の変わりように驚かれてしまった。この間精神科で薬をやめたいって言ったばかりなのに、私にはまだまだ早かったようだ。安定したい。ただそれだけだ。雨が降ったら傘をさしたり、晴れたら閉じたり、そんな風に淡々と柔軟に生きられたらどんなに楽か。

明日からは仕事のことだけ考える。働く。

東京タワー

半年間勉強を続けていた試験がやっと昨日終わったので、これまで使ってきた勉強道具を少し片付けた。解答速報の結果では、合格している予定だ。公式の解答ではないのでまだ少し不安は残るが、とりあえず一安心。公式で解答が発表されたら、自己採点してみて、本当にちゃんと合格しているようであれば、参考書などは一気に捨ててしまおうと思う。大学受験のトラウマから完全に離脱したとは言い切れない精神状態で受験したので、合格してたらすごく嬉しい。勉強がちゃんと実を結んで、また一つ自分を強くできたら、失われつつある自信を少しは取り戻せるかもしれない。

昨日と今日で一冊ずつ本を買った。読書は全くできていなかったが、久しぶりに文章を読んでみるとやっぱり楽しい。買った本は、雨宮まみの「東京を生きる」と、磯部涼の「ルポ川崎」。勉強が落ち着いたので、これからは自分の暮らしにちゃんと向き合おうと思って、この街を好きになるために買った二冊だ。

「東京を生きる」の著者、雨宮まみは、以前少しだけブログを読んだことがあって、その文章が飾らなくて素直で、これから40代に突入せんとする意気込みや、毎日の積み重ね方がすごく素敵だなと思って、ぜひ本も読んでみたいと前から思っていた。この「東京を生きる」は、前書きを読んで買おうと決めた。「雨宮まみ」の文字だけで手に取った本で、全くタイトルには目がいっていなかったのだが、その前書きには、地方から東京に移り住んで、どう東京に馴染んでいくか暮らしていくかということが書いてあって、今まさに私が知りたいことが前書きに触れられていたのだ。地方に住んでいた私が思い描いていた東京、今自分が神奈川に住んで頻繁に目にするようになった都会の風景、それらを自分の生活、人生にどう落とし込んでいくか、今の私には全く手がかりがないのだ。この本の前書きを読んだとき、その手がかりにこの本がなってくれるんじゃないかと期待して買った。

「ルポ川崎」は、私が今住んでいる川崎市について知りたくて買った。私は川崎に住んでいても、この先川崎市立の小学校や中学校に入学することは決してないので、ただただ暮らしているだけではこの街のことがわからないまま終わってしまいそうな気がする。きちんと馴染んで、地元民然とした顔ができるようになるには、あまりにも時間がかかり過ぎる。綺麗に整備された駅前くらいしか行かずに終わるにはもったいない、私が知らないこの街のリアルを住んでいるうちに知りたくて、読んでみようと思った。

 

彼氏は、積極的に同棲の話を持ち込んでくれるようになった。今週も迷惑をかけてしまったのに、優しい人だ。そんな彼の話を聞いていると、私はそろそろ本当に死ぬんじゃないかと思う瞬間がある。だってほら、ドラマに出てくるヒロインは、これから幸せな毎日を送っていこうねと恋人と約束をした次の日、不慮の事故とかで死にがちじゃないですか。同棲の実現はこれまでにない嬉しいことなので、逆に叶いそうなのがすごく怖い。叶いそうとは言ってもまだ何も現実的な準備は全く整っていないし、ただ私も彼も重要な試験が終わって少し同棲について考える余裕ができただけなので、まだまだ叶うかどうかはわからないんだけど。それでも、アパートやマンションの内見に行ったり、不動産屋さんのホームページ見てあーだこーだ言ったり、それを想像するだけでもかなり楽しそうだ。そんな楽しい日々が実現するなんて死にそう、、、 とりあえず今週もまた生きていけますように。