悩んでるんじゃなくて、考えるのが好きなんです。

昨日のグループワークで初めて一緒の班になった男の子から、24年間生きてきて初めて、くまさんというあだ名をつけられた。私の苗字と名前の頭文字をひとつずつ取って、くまさん。これまでの私の人間関係の有り様からはとてもじゃないけど考えられないかわい過ぎるあだ名に、正直ものすごく恥ずかしかった…。

小学生の頃、男の子からいじめられていたので、完全に男性とは話ができなくなっていた。大学生になって、何年か振りに同年代の男の子と普通に仲良くなって、男の先輩からちゃん付けで呼ばれるのも、最初はすごく気持ち悪くて違和感があったけど、良い人もいたからそれも割とすぐに馴染んだ。

専攻が機械工学だったし、サークルも男性比率が高かったのもあって、これまでとは逆に、女の子とどう仲良くなっていいかわからなくなってしまった。大学時代を通して私は、映画とか音楽とか、キラキラしたものよりも、もやっとして生々しいものに好みが傾いていたので、趣味が合う女の子というのは完全に0。でもそれは、高校までも同じだったし、性別に関係なく、私が好きになるものが特殊過ぎるだけなんだと納得していた。

これまでのことを考えると、私は同期社員とかなり仲良くやれていると思う。変なあだ名を言われたり、3つ下の男の子にパシリ扱いされたり、「大人しくて真面目」以外の印象をどうしてもわかってほしくて、仲良くしたくて頑張った成果かなと思う。だいさんは、私の音楽の趣味をわかってきたみたいで、最近勧めてくるのは汚いパンクが多い。いやまぁ好きだけど、楽しいし、下ネタ笑えるし、そういうアルバムに1曲くらいたまに入ってるフォークっぽい曲もグッとくるし、でも仲良くなって1ヶ月経ってない人にそこまで趣味がバレてしまっていいのかな…と不安になることも少しはある。彼氏にもそこまでさらけ出してないのにな、音楽に関しては。

同期男性社員と仲良くなるにつれて、やっぱり私は男の子に生まれたかったかも、と思う。そういう、女という性別が邪魔みたいな感覚はこれまでもずっとあって、自分が女じゃなければここまで性差を意識しなかっただろうし、パンクのライブとか行ってもみくちゃになるのも平気だったかもしれないし。そもそも人間として生きていく中で、男の立場の方が楽に生きられるという側面は絶対に捨てられない気もするし。女扱いされなくても、結局性別は女だから、不自由することに変わりはない。そして私にとって女の子と行動することは、そうした方が周りが楽かなと思ってしまうからだ。圧倒的男性社会において、マイノリティはマイノリティで固まってた方がやりやすいだろうな、と変な気遣いから一緒にいることが多い。でも、80人中、女性は11人しかいないのに対して男性は70人いるんだから、仲良くなりたい人を探すなら絶対男の中から探した方が良くない?なんで女は女としか一緒に行動しちゃいけないんだ?私も男の子と普通に友達になって遊びに行きたいよ〜。そうは言っても私のコミュ力なんてたかが知れてるので、性別問わずそこまで仲良くなれる人も少ないけどさ…