昨日はアイスの日

これまでの人生の中で、一番素直に生きれている気がする。自分に対して納得もしないし、かといって過小評価することもなく、ただ毎日淡々と会社に行っている。それでも、毎日人がギチギチにいる中に長時間いるのは結構つらい。人と話すと私は完全に聞き役になるので、色んな人からのひたすらのインプットが溢れそうになってきた。それでも、私なりのコミュニケーションを諦めないように、会社に行ける方、生きる方を選べるように、毎朝駅への行き方を工夫している。

自分のitunesがあまりに尊くて驚く。最近は会社に早めに行って、その通勤途中で音楽を聴くのが楽しい。いまさら。一人でいるときと研修中のときとで自分のギャップに段々疲れてくるので、大森さんとかかまってちゃんとかを聴いて自分を取り戻していく。毎朝、本来好きなものに対する感受性を確認しないと、大勢の人に飲み込まれそうだ。だから明日も4:30に起きて会社に行く。

しいたけ

会社での研修が始まってから1ヶ月。配属もまだ、同期約80人との研修、この環境は学校としか言いようがない。サークルや音楽や勉強に打ち込んでいるふりをして集団行動から逃げ続ける大学時代を過ごした私にとっては、昔々の小学校時代のトラウマを思い出すだけの地獄のような時間だ。自分がやりたいことを思うようにやれている時だけ自由になれたと勘違いする、人間は都合のいい生き物だ。私は今完全にそのモードなので、早く働きたい働きたいと都合よく毎日思っている。

とはいえ、お給料が発生している以上、真剣に取り組まねばとも考えている。ただ、そう思えば思うほど、今の学校のような環境が邪魔なのだ。人間関係に少しでも疲れたら、私は研修を受けに来ているのであって友達づくりのために来ているのではない、と呪文のように本来の目的を唱えるようにしている。今後の人生において、きっとこの時期がどんなに貴重だったかを思い知る気がしているから。

今日、母と星占いを見ていたところ、2018年の魚座の運勢は割といいらしかった。人気が出て、色々な誘いを受けると。ただ、あまりにも楽しみ過ぎるとやり過ぎてしまう、とも。びっくりするほど私の苦手なことを言い当てられてしまった。多分、この占いを目にしたこと自体も、私の運勢にかなり影響しているのではないかと思う。今年は必然的に、初めての経験、初めて会う人が多くなると思うが、無我夢中にならないように心掛けたいな。仕事のゴールへの計画を1日毎でも立てて、2ヶ月に1回は予定を見直して、いっぱいいっぱいにならないようにしたい。吹奏楽部や受験勉強やビッグバンドや就活みたいに、それしか見えない、という状態にならないよう、今から工夫していきたい。

点描画

青森での最後の弾き語りライブが終わった。場所は黒石のラーメン屋さん。そこは、母とよく聴いたバンドのボーカルの方が経営するお店。そして共演者には、私が弾き語りを始めるきっかけになってくれた方。私にとっても、お客さんとして一緒に来てくれた母にとっても、なんとなく縁がある珍しいライブだった。このライブを紹介してくれた方ともちゃんとお話ができて、近年ではちゃんと挨拶を済ませることができた方だった。

弾き語りのライブ、って、なんでそんなに癒し系に偏ってるんだ?ってくらい、似通っている。下手な演奏を、でも頑張ってるからというのが理由で微笑んで見守るように聴く観客、勢いで押し通そうとするつまんないMC、お客さんの反応が薄いとすぐ身内ネタに頼ったり、なんかもう、正直うんざりだった。別に何かを変えられるとは思っていなかったけど、私が歌うのは大森さんの曲であって私の曲じゃないし、それでも、かなり多くの人に刺さる音楽だと思っていた。けど、終わってみると驚くほど手応えは毎回無かった。お客さんも出演者も、自分の知り合いの出番が終わればすぐ帰る。思ってたのと違う、だからライブに出ても出ても、尊敬できる人も友達になりたい人も見つからなかった。それは私が、他の弾き語りで出てる女の子みたいに可愛くないから?自分の曲じゃないから?地元の人間じゃないから?私が好きな音楽のことは、聴いてもらえればわかってもらえると思ってたけど、アマチュアは、というか大森さんの感じを見ていると多分プロでも、というかそもそも音楽自体、コンセプトから何から全部説明しないとわかってもらえない、聞けない音楽をシャットアウトするのは全員が持つ自由で、だからライブに出る度に人前で発表する意味とか、オリジナルを作る意味とか、音楽ってなんだろうとか、そんなことをぐちゃぐちゃ考えていて。それでもやっぱり、ドン引きされたとしても、私は私がつまらないと思うものはやりたくなかったから、最後まで大森さんの曲を歌った。自分の中で、弾き語りでライブに出て感じた違和感やイライラした気持ちと、たまにいる認めてくれる人の気持ちや場所を提供してくれている人への感謝の気持ちのバランスが取れなくて、人に対して素直な態度が取れなくなるくらいなら、自分の自己顕示欲のために人を振り回すのはやめよう、と思った。

バンドの人間関係がこじれて弾き語りを始めて、嬉しいことも嫌なこともたくさんあった。大森さんも、大森さんはプロだからそんなのは本当に畏れ多いけど、私と似たようなことで悩んだり悲しくなっているように見えたことも何度もあった。私はアマチュアだし、自分の本業じゃないからすぐやめれるけど、プロで毎日こんな感じだったら本当につらいだろうな… 色々言いつつやめない大森さんは本当にすごいな、と尊敬の気持ちが増した。結局、わかる人には伝わるし、わからない人には一生受け付けないんだろうし、音楽は万人のものであっても、言葉や人種みたいに、自分にとって普通のものしか日常生活の中には置いておけないのかもしれない。

あとは!!オリジナルやらないの?っていうのも嫌だったなぁ… なんでそんなにオリジナルに価値を置くの?オリジナルって言い張っても、どう聴いてもあのバンドのあの曲のパクリだろみたいなのたくさんあるし、全部同じコード進行で同じ展開でもオリジナルだから偉い、みたいなさ。ジャズやクラシックは過去の作品をスタンダードとして大事にしてるのに、なんでポップスは自作することにこだわる人が多いんだろう… そういうのはイチイチ言われるのもめんどくさいし、それって要は今日の演奏の感想がそれってことでしょ?本当に音楽聞く耳無いんですね、って感じだ。

ついつい悪態をつきがちな私だけど、それでも今日のライブは結構頑張って大事にしたよ。演奏中のチェキも撮ってもらって、しかもそれをいただいてしまったし。優しくしてもらったのは本当だし嬉しかったこともあったし、呼んでもらえるだけありがたいってことも本当はわかってるし、でも、でも、、、みたいに毎回なっちゃうので、やっぱり今後しばらくはライブに出ないことにしよう。だから何か、自分の発表欲を満たせる音楽以外の何かを見つけたい!必要以上に他人を嫌ったりせずに済む何か。でもそれよりまずは、向こうに行った先での生活基盤を整えることから、だな…

ドリアとアップルパイ

石井ゆかりの占いで、魚座の人は2018年3月、たくさんの人に誘われて色んなところに行くでしょうって書いていて、大学に友達なんて1人もいないし会いたい人もいないしそんなわけあるかって思ってたけど、自分が思った以上に3月に向けたこの3ヶ月は懐かしい人にたくさん会った。高校のときに親しかった友達何人かにも会えたし、あと明日25日は黒石でライブがある。多分、青森最後のライブだ。初めて歌う場所だけど、私が小4のときに母が車でヘビロテしていたアマチュアバンドのボーカルの人が経営するラーメン屋さんだし、一緒に出る人も、私が最初に弾き語りライブに出るきっかけになった人だし、なんとなく繋がりを感じている。そして誘ってくれたのは、青森で母とライブに出たときに知り合いになった人。案外私も、弾き語りを始めてから何年か経つし、意外といろんな人と関わってきたなと思う。

そして昨日は卒業式。研究の進捗がイマイチだった私は、完全でちゃんと自分に自信が持てている私じゃないといけない気がしていて、院生になってからキャンプも花見も恥ずかしくて参加しなかった。それでも先生には最後まで面倒を見てもらったので、同期や後輩や先輩はまぁ別にいいんだけど、せめて先生とはちゃんと挨拶をして別れようと思っていた。

午前中は、彼氏に2週間ぶりくらいに会って、一緒に卒業式に出た。その後は彼氏のお母さんと3人でお昼を食べて、急ぎながらコーヒー豆を買って、アップルパイを買った。ずっと行きたかった藤田記念庭園に初めて入れて、しかもそこのアップルパイはとても美味しかった。弘前に6年も住んでたのに、行きたいところも行ききれなかったなぁ。それでも、彼氏の家族とも顔見知りになってきて、何となく嬉しかった。

その後は、卒業する4年生も交えて、先生たちと記念写真を撮った。研究に対して不真面目で、ゼミの態度もひどかった4年生は、まるで夜逃げのように机の上も片付けず帰ってしまっていた。そんなに研究が嫌だったのか…というのが丸わかりだ。そこまで露骨な人も珍しいので、きっと彼も不器用な人なんだと思う。院に進む4年生の1人で、卒業式にも出ず、私服で普段通りに研究している子もいた。学位記を学生証と交換でもらうんだよ、と教えたら、初耳だったのかびっくりした顔をしていた。あの子はちゃんと、学位記もらったかな。卒業式当日になって、今までリア充だと思ってた4年生の中にも、難しいところがある人もいたことに気づいた。そういうところってあんまり知られたくないから、普段はしれっとしているのかもしれないけど、こういう節目になるとどうしても出ちゃうのかもしれない。不器用ながらそれでも毎日研究しに学校に来て、それは私と全く同じだった。みんなそれぞれ、自分が思う形でもいいから、何かを全うする経験がたくさんできるといいなと思った。

それまでも割と親しくしていた助教の先生とは、ちゃんとお話しできた。都会は、表通りから1本外れただけで危険度が全然違うから、それを察知する感覚を早めに身につけるといい、とアドバイスをもらった。教授の先生にも挨拶をしようと思ったけれど、祝賀会に行ってしまっていたので、メールをした。本当は直接挨拶したかったけど、この間テレビで見た娘から父への手紙みたいに、普段表面的な会話しかしない分、文章の方が冷静で言いたかったことがちゃんと言える気もしたので、メールにして正解だった。何時間がして先生から返事が来て、感動して少し泣いてしまった。私の面倒があまり見れていなかったこと、英語の論文はチェックをしている最中だけど必ず発表すること、今後も私が作った実験装置を使っていくこと、なんか、意外とちゃんと見ていてくれたことに驚いた。研究が本当に嫌で嫌で仕方なくて、それでも修士の学位をもらうために毎日とりあえずやってみるの連続でつらかった。その気持ちが少し報われた。これで、心置きなく次に進める気がする。小学校から高校まで、先生運がいいと思っていたけど、それは大学院まで続いていたみたいだった。

夜は母と、頻繁に行ったそば屋さんでご飯を食べた。そこで、2人のお気に入りだった美容師さんが逮捕されていたことを知った。携帯電話も通じないし、心配していたところだったので、状況が知れてよかったけど、それでも最後にもう1回髪を切ってもらいたかったので、すごく残念だ。もっと早くお店に行ってればなぁ… と後悔。知り合いでそんな状態になった人は初めてなので、当たり前は当たり前じゃないんだということが身にしみた。人間は頑張れるうちに頑張ってみた方がいいし、誰か確実に助けてくれる人が世界に1人いるだけで、全然違うんだろうと思った。罪を犯してしまったら、少なくとも今持っているものは手放さないといけない。今頑張れていて、今休むこともできて、今家で過ごせていることがすごく幸せなことに思える。美容師さんは今うまくいっていないかもしれないけど、またお店を開いてほしいし、また髪を切ってもらいたいと思う。

 

この1日は朝から夜まで色んなことがあって、不思議な1日だった。喜んだり悲しくなったり、ツイートするほどでもない気持ちの揺らぎがたくさんあったので、ここに記録しようと思った。就職先へ出発する前の区切りとして、思い出に残る1日になった。大きなイベントは明日のライブだ。出来るだけ楽しみながら過ごしたいと思う。

ルピナスの花

今日で私は24歳になった。そして、引越しまであと2日。部屋に貼っていたポスターや絵葉書、お気に入りの布を外すと、部屋がもとの状態に戻って行くのがよくわかる。それは作業が順調に進んでいることを表すと同時に、自分の大学生活を畳む作業がいよいよ終わることを意味する。そして明後日には、この部屋に帰ることはもう二度と無い。そう考えると、胸の奥が少しキュンとする。

実家にいた頃は、友達を家に泊めたことは一度も無かった。だから私が泊まりに行くことも無かった。大学に入学して、一度の引越しを経てこの部屋に来てからは、結構色んな人を招き入れた。そして友達を何度も泊めた。私もたくさん泊まりに行った。友達と一晩中過ごすことの楽しさは、この部屋に来てから知った。

母との喧嘩の思い出もたくさんある。1人で泣いた夜なんか数え切れないほどだ。それほど私と母は不安定で、安定や安心を渇望していて、そのためにそれぞれが頑張れる環境を作り上げることに夢中だった。喧嘩は今思えばそのためのプロセスの1つに過ぎなくて、それが親子関係の結果になったことは一度も無かった。その後も私たちの関係はちゃんと続いているし、今はとても仲良くできていると思う。

彼氏に告白したのもこの部屋だった。母に背中を押してもらって、そしたら奇跡的に付き合ってくれることになった。そのときはただ彼氏がいる状態に満足しただけだったけれど、なんだかんだでもう4年も一緒にいる。告白した当初よりも今の方が好きだし、知れば知るほど面白いと思える人は本当に貴重だ。

最初はただの寝床だった部屋が、いつの間にか私の生活の全てになっていた。部活と勉強ばかりしていて、日常生活を楽しく過ごす工夫には全く興味が無かった私が、初めて料理をしたり掃除をしたり洗濯をしたり、家事に取り組んだ部屋。大学に入学したばかりの頃は、卒業したらバリバリ働くことしか考えていなかったけれど、衣食住を充実させることの大変さや楽しさを初めて感じた部屋。それは母との思い出であり、友達や彼氏との記憶であり、そこにはいつもこの部屋があった。この部屋こそ一番のお気に入りだったから、ここを離れるのは本当に寂しい。でも気に入った部屋に住むことが、普段どれほど自分の心の支えになるか、それがわかっただけで、この先どんな場所でも私の生活を手に入れることができる気がする。

6年間、私の帰る場所がこの部屋で幸せだった。もう帰ってこないなんて本当に信じられないけど、本当に幸せだった。

引越しまであと1週間。今後の人生において、この部屋に帰ってくることが一生ない毎日が訪れるなんて信じられない。この部屋はそのくらい、私の暮らしに馴染んでいた。寂しい、っていうのも、今はない。ずっとこの街から離れたかったけど、いざ離れるとなると変化が途端に怖くなるのはなぜだろう。

卒業というのもあまりピンとこない。高校までのように校舎に対して特別な思い入れがあるわけでもないし、部室に対しても最近は全く行かなくなったので、哀愁のようなものは感じない。大学で過ごした6年間というよりも、家族との関係を修復するための6年間だったように思う。それは、時間の自由がきく大学生という立場を利用しなければできないことだった。だから、学問で何かを成し遂げた達成感はほぼない。結果的にやりきったんだけど、個人的な手応えはない。

実績を残す、というのではなく、結構真面目に私という人間についてとことん向き合った、本当に特殊な6年間だった。部屋を引き払う瞬間ドバッと感情が溢れそうだから、覚悟しておこう。

死して尚死

人は、いつか必ずいなくなる。その兆しがあってもなくても、そしてそれは人間の、生物の力では操作することはできない。物事は作るより壊す方が簡単で、手に入れるよりも捨てる方が簡単で、生きるより死ぬ方が簡単で。失う方が楽な世の中で、何かを手にしたり誰かと出会ったりすることの意味とは。出会ってしまったら最後、必ず別れなければならないことはわかっているのに、どうして関係を築いていくんだろう。自分が生きている世界が、漫画やドラマや映画の中みたいに永遠その平凡な日常が続いていくわけではない、という、最も不安に近い事実を唐突に突きつけられる。今日の昼思いついた晩ご飯を、本当に今日の夜食べられるかどうかなんてわからない。そうして時々ハッとして、この先の延長線上にある「失う」恐怖を想像して、たまに生きる意味とか幸せとかについて深く考えたり。自分が今生きていることは設定でもなんでもなくて、ただの生命の営みの中にある確率の中に存在しているだけで、お約束の展開なんてありゃしないのだ。

だけど、そんなことは普段忘れていた方がいい。いつでも、立てた計画は予定通り進むのが一番いいし、夜は眠れるのが一番いいし、好きな人は永遠に生きていてくれるのが一番いいし。それこそが真実、ってことにしておかないと、毎日危ない橋を渡り続けるだけになってそれはそれで不健康だ。いつが、どの日が最終回かは人生において決まっていないから、だから終わりなんか意識したくない。