鈴虫

自分がそこに合わせに行くんじゃなくて、自然とそこにいられる人間関係がすでに出来上がっている場所を探しに行ける自由が欲しい。中年ほど凝り固まってはいないと思うけれど、自分の性格の根幹は不変だ。人の好みとしても不器用な人が好きだし、真っ直ぐ生きて失敗してる人を可愛いと思ってしまうから、思考回路がすぐ生き死にに直結するのもまぁ仕方ないことかなと思う。就活の窓口になっていた学科の先生は、とにかく元気な人はいい会社に入れて人生も成功すると思い込んでいる節があった。元気な人って、曲がりなりにも博士を出て准教授としてレーザーを使った最先端の研究をしてる人が口にするには語彙力が無さ過ぎるんじゃないかと思った。先生はいつも元気な人の代表として色んな人の成功例を挙げていたけど、それはその人が優秀だったりたまたまその会社に適した人だったり、元気かどうかとかそういう話の枠を超えた色んな条件がぴったり合ったことによる結果なんじゃないのかなぁと長話の果てには思っていた。だから、私のことをよく知りもせずにアドバイスしたり顔で自分を変えろとか強要してくるやつは信用できないねってことです。

昼なんか嫌い

私より適当な気持ちですいすい上手く生きてる人なんかとっくに見慣れてる。交流を広げよう広げようとしても結局気まずい人間関係ばっかり増やしてしまうのも、もうこれは私的人生勝利方法なんだとしか思えない。男性社会の中でこの先やっていけるのか不安。味方がいていいね。何やっても120%するんだから責任が重いことなんか引き受けなきゃいいのにね。下手にこじらせた自己肯定欲がいつも私の邪魔をする。期待されてると思って頑張っても予想通り放置だし、なんも報われない。なんっっっっにも。人に期待しないことが人生の大前提だよって誰か教えてくれれば良かったのに。

ひたすら大森さんかわいい

全部気のせいだといいな。生活や音楽に対する未練も。洗濯機が動く音を聴きながら、思考の網にこびりついた油とか埃も綺麗になったらいいのにと思う。シンプルな骨の部分だけが残って、それはそれはすっきりするだろう。

サブカル系の人は何者かになりたくて仕方がないこじれた人が多いって聞いたことあるけど、それは生きてれば皆そうなんだよねきっと。自分の本番用の土俵の上では勝てないから、勝てそうな他人の土俵に上がり込んで勝負したがるんだろう。アマチュアのバンドマンには別に憧れない。ローカルヒーローになりたいわけじゃない。でも女優さんとかプロのミュージシャンとか、最近は私と1つ2つくらいしか年が変わらない人が増えてきてて、なんか焦る。プロの演奏者になりたいって本気で思ったことあったなぁって、ぼーっとテレビの前に座ってる。私にはこれしかない、みたいなものはまだ見つかってない。それだけだ。自分が戦うべき土俵さえわかってない。需要と供給が繰り返される社会の中に組み込まれてすらいない、役割すら与えられていない学生の身分で、それを見つけようとするのは多分無理なんだ。今はまだ待つときだ。その間にだってやれることはあるぞ。

起きれない

今日は初めてTSUTAYAでCDをレンタルしてみたんですが、私にはレンタルは向いてないことがよくわかった。だってすごくいいアルバムはやっぱり欲しくなっちゃう!!!!借りた中に凛として時雨のCD2枚+DVD1枚が入ったアルバムがあって、その映像、めちゃくちゃかっこ良かった、、、、女の子なのに唸るベースぶいぶいしてて、耳に残るハイトーンのボーカルとそんなの歌いながらよく弾けるなっていうギターと、曲を華やかに演出する展開しまくりのドラムと、バンドの曲を聴いて感動したのなんか久しぶりだなぁ。すごく嬉しい。このアルバムうちの子にしたい。

凛として時雨は私が高校の頃の音楽好きの友達が好きで、当時たまと特撮をヘビロテして同年代の子とはまず音楽の趣味が合わないことを、寂しくもあり同時に少し誇らしく思っていた私にとっては、そんな若者に受けるようなチャラチャラしたバンド興味ないなーって思ってた。ビート感とか曲の展開よりも、変な歌詞で変な曲なんだけど聴いててなんかグッとくる、みたいな音楽を好んで聴いてたから、どうしても同年代の子が聴いてるものを好きになれなかった。でも今聴いてみると、そのときのイメージとはだいぶ違ってた。まずチャラチャラしてないし、全然流行りっぽい外見じゃない。名前が売れてるバンドにしては地味だ。演奏してる姿にどんどん引き込まれていく。裏打ちのハイハットとかテレキャスのカッティングとか、今っぽい曲に含まれる要素がたくさん入ってるけど、すごくガツガツしてて熱い。かっこつけたバンドマンっていうよりは、音楽に対するこだわりが強いオタクっぽい印象を受けた。久しぶりに見たかっこいいバンドだなと思った。

それでも思うのは高校生の頃にこれを見ても絶対に好きにはならなかっただろうな、ということだ。何が良いのかが全くわからなかったと思う。大学生になって聴く音楽のバリエーションが増えたし、今の私のiTunesは充実し過ぎてて楽園のようだ。色々な音楽を食わず嫌いせずに聴くようになったからこそ、今、凛として時雨をかっこいいと思えるようになったんだなと感じる。音楽との出会いに早いも遅いもない。あのとき流行ってたやつと思っても、今の自分にしっくりくる音楽はまだまだありそうだ。音楽ってやっぱりすごく面白い!し、いつまでも夢を見ていられる距離感でずっと付き合っていきたい。演奏者にこだわらなくても、私はずっと音楽を好きでい続ける。

4:44

23年間過ごした土地は結局、私にとっては地元になれなかった。会う人会う人、特に大人の人は地元が大好きな人ばっかりで、だからこそここでずっと同じ顔ぶれでアマバンをやったりしているわけだから、その中で完全非地元志向の私が馴染めないのは当然だよな。身内ネタとか全くわかんないから本当嫌いだし、人柄を持ち出さないと聞けない音楽なんか聴きたくない。人前に出る以上は皆平等に何かしらの評価対象になるってことを、同じ土地にいれば気がつかないのはもはや仕方がないことなのかもしれない。所詮アマチュアって、こうだからそう言われるんだなって思う出来事が、ライブハウスで歌うようになってよくわかった。ちょっとでも踊れそうな音楽がそこにあれば馬鹿みたいに飛びつくし、退屈なライブをいくつも平気な顔で聴いていられるのは撮った写真をフェイスブックに上げることしか考えてなくて音楽なんか全く聴いてないからだろって思うし、ギターのチューニングがまともにできなくても顔が可愛ければチケットノルマはすぐ達成できるし、オリジナル曲なんてすぐ書けるよって言うあなたの曲はだからつまんないんですねって思うし、それでいい、それでも皆利害関係が一致してて、でも私にはちょっと無理です。次に行く土地もどうせ馴染めないなら、一生観光客でいい。

ケーキが無ければ

明日こそは、をこの先の人生何度繰り返すんだろう。10個入り100円の卵と2個入り100円のゴーヤを買っただけで、ちゃんとした明日を保証できるとでも思っているのだろうか。手際よくやろうとするほど失敗は増える。憧れの人が素敵な1日になりますようにとラインをくれたのに、結局叶わなかった日は、無くても良かった日にカウントできるかな。行きたくない場所に行かずに居たい場所に居るだけでは幸せになれない気がする私は、ただのわがままなんだろうなー。本を一冊読んだ。美しい物語が、それを読んだ人たちを繋いでいく話。知らず知らずの内に誰もが何かの輪の中に入っている。小説ほどぴったりではないかもしれないけど。生きている中で今が一番恵まれている状況にいるのはわかっているが、それでも人を羨ましく思うのをやめたい。トイレットペーパーが無くなりそう。

夏果て

私の生活にどん底の絶望に光を当てるような音楽を作ってくれていた大森靖子ツイッターアカウントが消えた。それが仮想的自殺にならないことは本人が一番わかってるんじゃないかな。ただ何となく、と一言では言えないほど、ただの一ファンにはわからない不甲斐なさやるせなさが積もった結果なんだと思う。

私は大森さんの人間らしいところがすごく好きだ。だから最近、神様みたいに崇められているのにはどうも違和感があった。人から散々悪口を言われてそれに真摯に傷ついて、それでも私には私の思想があるからってそれでファンを肯定するような歌を作っていた。自分の音楽がどんな人に需要があるかをちゃんとわかってるし、どうしたらファミマのゴミ箱の前に座ってるギャルとか、そのくらい色んな人の耳に入る音楽を作るにはどうしたらいいのかを必死に工夫して、継ぎ接ぎでも美しい歌を作っていた。あれほど誰かの生活をちゃんと歌おうとする歌手がいたのかな。私だって大森さんの活動の4年間くらいしかちゃんと知らないけど、その必死に作った努力が滲み出て血だらけになってる音楽が私には刺さったっていう、ただそれだけだ。

大森さんがいい歌を作ってくれればそれでいいし、いいライブをやってくれればそれでいい。別に会えたりとか、リプ送って返事が来たりとか、そんなの全然期待してない。幸せでいてくれないと音楽が作れない人だと思うから、そのために負けないでほしい。歌を作り続けて歌い続けることを諦めないでほしい。