空いてる電車でも大荷物は棚に置く

今もそんなに好きではないけど、子供の頃は写真が大っ嫌いだった。ずっと太っていることがコンプレックスで、そのことで今で言ういじめっぽいこともされていた。おかげで小学校の高学年の頃はぶかぶかのスキーウェアをかなり暑い季節になっても常に着ていて、薄着をして腕を出したり体の線を少しでも見せたりすることが極端に嫌だった。洋服やおしゃれにも全く興味が湧かなかったし、太っているのが嫌だとは思っていたけど痩せる努力も特にしなかった。

何かの弾みで、母と自分の小学校から高校までの写真を見返した。心屋先生が、記憶は思い出す度に毎回更新されているから内容がどんどん変わっているって言ってたけど、それは本当かもしれないなと思った。中学生、高校生だった私は、今ではとても考えられないけど、陰湿な女子の集まりの代表格にもなり得る吹奏楽部に所属していて特に目立つ自己顕示欲を存分に発揮できるトランペットでソロパートをたくさん演奏していて、卒業式では友達っぽい人たちとちゃんと笑ってフレームに収まっていた。その頃の自分の顔はどこにでもいる普通の中学生と何ら変わらない様子で、ピンク色の太ぶちめがねをかけて長い髪を二つに結んでいた。あの頃は眉毛はボサボサだしアイプチもしてないし制服のスカートは長いし自分が入学前に思い描いていた中学生像とはあまりにかけ離れたダサダサな中学生だと思っていたけど、今振り返ってみれば皆どんぐりの背比べで同じ制服、同じ髪型をした中でなんとか自分の個性を浮き彫りにさせようと必死だったんだなーと思った。中学時代の友達は私の頭の中では中学生で止まっていて、そのときの私も同じ中学生だったのが不思議で仕方がない。

大学に入ったら同じ志を持った友達には出会えずじまいだったけど、それはそれでしょうもないことだ。大学生は勉強が本分なようでそうではないし、部活やサークルが本分なようでそうではない。高校生までの勉強と部活が本分だという空気と、社会人になってからの仕事が本分だという空気のちょうど狭間で、何事にも真剣に取り組まなくても何となく生活できてしまう何とも贅沢な4年ないし6年間を過ごすことができる。中学生の私はまだまだ子供だったけど、一生懸命に悩みながら何かに必死に取り組む人と一緒に過ごすのがずっと好きなのは変わっていないということに最近気がついた。だから部活でもやっていけたし、不器用ながら部活と勉強とそれに付随する人間関係に苦しんで頑張っていた部活の仲間が心から大好きだった。みんなはみんなでその後色々な経験をして様々な大人になっただろうからあの頃とは違うし、私も私で大学に入ってからは他人にはとても見せられないダメな部分がどんどん増殖してあの頃にはもう戻れない。あのときの皆とあのときの私だから乗り越えられた演奏会だったしコンクールだったし、友達になれたんだと思う。だから同窓会はいらない。思い出に浸るなら1人で写真を見返して、あのときは楽しかったなぁっていう気持ちを感じるだけで充分だ。

写真っていいものだなと思ったし、今はカメラが1人1台普通に持っている時代だから前に比べて気軽に思い出が残せて、恵まれたいい時代だ。友達は子供の頃に比べたらボス戦を終えたピクミンのように激減したけど、それでも今近くにいてくれる人たちの顔を少しでも写真に収めなきゃなと思う。今は恥ずかしがっていても、きっといつか一緒に笑って見返せたらいいな。