餃子

真面目さだけは自信があるけど、それで良かったと思ったことは一度もない。大学は第1希望のところには入れなかったし、就職先も第1希望のところは落ちてしまった。大学では第1希望じゃなかったからという理由で失敗したくなくて真面目に頑張ったのと同じように、これから働き始めてからも同じように頑張るだけだ。

ブラック企業での働き方が問題視されるようになってから、はっきりした根拠もないのに相手を責めるような言葉を投げかける上司や、どんな理由であれ生徒に対して体罰をする先生や、掴みかかるような取り調べをする刑事さんは、すぐパワハラと言われ、ネットでもテレビのニュースでも叩かれがちだ。でもそれは、そういう人たちがそうするように教育されてきた結果なんじゃないかと思う。私は高校が進学校だったし、小中高と吹奏楽部だったし、真面目な性格も相まって、体育会系な雰囲気に慣れきっていた。そこでは時間は作るものだって教えられたし、ちゃんとしなきゃと思い続けることが大事だと言われたし、最後は気持ち次第だとも言われた。プライドの高さと真面目な性格に振り回されていた私は、完全にその雰囲気に飲み込まれて、そういう強い思想を持ち続ける自分こそ正しいと思い込んでいた。だから、今でも、どちらかというと自分はパワハラを相手に押し付ける方の人達と似た考え方をしているなと思う。それが、人間関係を構築するときの足かせになっていることに気づいたのは、つい最近のことだ。見た目の雰囲気に囚われ、相手のことをよく知りもせずにロクな人間じゃないと決めつけがちだ。そのせいで、仲良くできるはずの人達とも仲良くできなかったり、うまく話さなせなかったり、そんなことばっかりで、大学6年間のうちに良好な人間関係を構築することがすっかり怖くなった。

そんなんだからすれ違ったときに笑って挨拶できる人は結局全然増えなかったけど、働き始める前に自分のこういう特性を知っておいて良かったと思う。知ったところで自分の性格が変わるわけではない。だから今は、この私で社会を生き抜くために、武器を装備していく時期なんだと思う。それは世渡り上手になるための方法を勉強するんじゃなくて、信頼する人とたくさん色んな話をしたり、若い頃自分をこじらせていたおじさんたちのラジオやテレビを見たり、私みたいな人間に訴えかけるような音楽を聴いたり、映画を見たり、自分にはこれがあるから大丈夫って思えるような宝物 = 武器をたくさん集めておくことだ。困っときとか悲しいときに見返して、また頑張れるようにするためには、そういう武器は多い方がいいから。

ntsk

大勢でのコミュニケーションも飲み会も苦手な私が、超男性社会の業界にある大企業でどう生きていくか、考えていく必要があることを突きつけられた。70人以上のほぼ知らない人で構成されるライングループに入るのなんかまじ勘弁。なんか、大企業、舐めてたなぁ、、、 アウトドア好き、スポーツ観戦好き、その中でもサッカー好き、皆揃いも揃って「趣味が合う人は声かけてください」とか、そんな特徴ない顔で特徴ないこと言われても全然覚えられないって感じの人ばっかりだった。コミュニケーションは待つことじゃない。つまらん。

でもバックアップがちゃんとしてたり、お金をたくさんもらえたり、嫌なことがあっても我慢すればしただけいいことがあるのかもしれない。自分には何が向いているのかわからないのは当然。私は最初から式典とか楽しく参加できるタイプではないから、今日の夜のことは完全に諦めていた。私のために時間やお金をかけてくれている人にはちゃんとお礼をしようと思った。

内定式まで

やりたくないことは日常の中でできるだけ排除したいですよね。先週はやりたくないけど私の卒業に大きく関わる大事な実験があって、準備の段階でめんどくさ過ぎてHPがどんどん削られていくような状態で、ずーっと燻っていたのがようやく終わりました。ただ、本当に本当にやりたくなかったので、終わった後もここがダメだったなぁとか、あそこをもっとこうすれば良かったなぁとか色々考えてしまって、休みの日も暗い小説を読むばかりで全く休めなかった。就活中、どっかの会社の人事部の人が、就活がつらくてつらくて仕方がないと漏らす学生が多くいるけど就職したら就活なんか比べものにならないほど大変なことがたくさんあるんだから頑張れ、的なことをネットの記事に書いていた。嘘でもいいから社会人になったら楽しいよ!ってことをアピールしてくれないとやる気なんか出るわけない。中学生になるとか高校生になるとか大学生になるとか、節目節目で今より少しは自由になれるかもって期待しながら次のステージに進んでいたけど、いよいよそれも最後になるのかもしれない。やりたくないことに対してやらないっていう選択ができるように簡単にはならないだろうから、やりたくないことを結局頑張ってやって、次の日に死にかけたり休日を持て余したりすることもたくさんあるんだろうな。トモフスキーが、まぁやるよ、やるけどさ、残酷だよね、期待してないけどね、って歌ってるけど、そんなテンションでも多分向き合わないよりは全然マシなんだ、多分。

扇風機しまいたい

朝8:00までに起きてお風呂に入ってコンタクトをしてブラジャーをしてご飯を食べて外に出るっていう当たり前の一連の流れを毎日コンプリートしたいだけ。土日を持て余す自分と時間と空間が怖い。金にもなんないし。バーベキューもキャンプも酒飲みに全部あげるから、もっと普通に部屋干ししたTシャツみたいな幸せが欲しい。おなかすいた。

鈴虫

自分がそこに合わせに行くんじゃなくて、自然とそこにいられる人間関係がすでに出来上がっている場所を探しに行ける自由が欲しい。中年ほど凝り固まってはいないと思うけれど、自分の性格の根幹は不変だ。人の好みとしても不器用な人が好きだし、真っ直ぐ生きて失敗してる人を可愛いと思ってしまうから、思考回路がすぐ生き死にに直結するのもまぁ仕方ないことかなと思う。就活の窓口になっていた学科の先生は、とにかく元気な人はいい会社に入れて人生も成功すると思い込んでいる節があった。元気な人って、曲がりなりにも博士を出て准教授としてレーザーを使った最先端の研究をしてる人が口にするには語彙力が無さ過ぎるんじゃないかと思った。先生はいつも元気な人の代表として色んな人の成功例を挙げていたけど、それはその人が優秀だったりたまたまその会社に適した人だったり、元気かどうかとかそういう話の枠を超えた色んな条件がぴったり合ったことによる結果なんじゃないのかなぁと長話の果てには思っていた。だから、私のことをよく知りもせずにアドバイスしたり顔で自分を変えろとか強要してくるやつは信用できないねってことです。

昼なんか嫌い

私より適当な気持ちですいすい上手く生きてる人なんかとっくに見慣れてる。交流を広げよう広げようとしても結局気まずい人間関係ばっかり増やしてしまうのも、もうこれは私的人生勝利方法なんだとしか思えない。男性社会の中でこの先やっていけるのか不安。味方がいていいね。何やっても120%するんだから責任が重いことなんか引き受けなきゃいいのにね。下手にこじらせた自己肯定欲がいつも私の邪魔をする。期待されてると思って頑張っても予想通り放置だし、なんも報われない。なんっっっっにも。人に期待しないことが人生の大前提だよって誰か教えてくれれば良かったのに。

ひたすら大森さんかわいい

全部気のせいだといいな。生活や音楽に対する未練も。洗濯機が動く音を聴きながら、思考の網にこびりついた油とか埃も綺麗になったらいいのにと思う。シンプルな骨の部分だけが残って、それはそれはすっきりするだろう。

サブカル系の人は何者かになりたくて仕方がないこじれた人が多いって聞いたことあるけど、それは生きてれば皆そうなんだよねきっと。自分の本番用の土俵の上では勝てないから、勝てそうな他人の土俵に上がり込んで勝負したがるんだろう。アマチュアのバンドマンには別に憧れない。ローカルヒーローになりたいわけじゃない。でも女優さんとかプロのミュージシャンとか、最近は私と1つ2つくらいしか年が変わらない人が増えてきてて、なんか焦る。プロの演奏者になりたいって本気で思ったことあったなぁって、ぼーっとテレビの前に座ってる。私にはこれしかない、みたいなものはまだ見つかってない。それだけだ。自分が戦うべき土俵さえわかってない。需要と供給が繰り返される社会の中に組み込まれてすらいない、役割すら与えられていない学生の身分で、それを見つけようとするのは多分無理なんだ。今はまだ待つときだ。その間にだってやれることはあるぞ。