ntsk

大勢でのコミュニケーションも飲み会も苦手な私が、超男性社会の業界にある大企業でどう生きていくか、考えていく必要があることを突きつけられた。70人以上のほぼ知らない人で構成されるライングループに入るのなんかまじ勘弁。なんか、大企業、舐めてたなぁ、、、 アウトドア好き、スポーツ観戦好き、その中でもサッカー好き、皆揃いも揃って「趣味が合う人は声かけてください」とか、そんな特徴ない顔で特徴ないこと言われても全然覚えられないって感じの人ばっかりだった。コミュニケーションは待つことじゃない。つまらん。

でもバックアップがちゃんとしてたり、お金をたくさんもらえたり、嫌なことがあっても我慢すればしただけいいことがあるのかもしれない。自分には何が向いているのかわからないのは当然。私は最初から式典とか楽しく参加できるタイプではないから、今日の夜のことは完全に諦めていた。私のために時間やお金をかけてくれている人にはちゃんとお礼をしようと思った。

内定式まで

やりたくないことは日常の中でできるだけ排除したいですよね。先週はやりたくないけど私の卒業に大きく関わる大事な実験があって、準備の段階でめんどくさ過ぎてHPがどんどん削られていくような状態で、ずーっと燻っていたのがようやく終わりました。ただ、本当に本当にやりたくなかったので、終わった後もここがダメだったなぁとか、あそこをもっとこうすれば良かったなぁとか色々考えてしまって、休みの日も暗い小説を読むばかりで全く休めなかった。就活中、どっかの会社の人事部の人が、就活がつらくてつらくて仕方がないと漏らす学生が多くいるけど就職したら就活なんか比べものにならないほど大変なことがたくさんあるんだから頑張れ、的なことをネットの記事に書いていた。嘘でもいいから社会人になったら楽しいよ!ってことをアピールしてくれないとやる気なんか出るわけない。中学生になるとか高校生になるとか大学生になるとか、節目節目で今より少しは自由になれるかもって期待しながら次のステージに進んでいたけど、いよいよそれも最後になるのかもしれない。やりたくないことに対してやらないっていう選択ができるように簡単にはならないだろうから、やりたくないことを結局頑張ってやって、次の日に死にかけたり休日を持て余したりすることもたくさんあるんだろうな。トモフスキーが、まぁやるよ、やるけどさ、残酷だよね、期待してないけどね、って歌ってるけど、そんなテンションでも多分向き合わないよりは全然マシなんだ、多分。

扇風機しまいたい

朝8:00までに起きてお風呂に入ってコンタクトをしてブラジャーをしてご飯を食べて外に出るっていう当たり前の一連の流れを毎日コンプリートしたいだけ。土日を持て余す自分と時間と空間が怖い。金にもなんないし。バーベキューもキャンプも酒飲みに全部あげるから、もっと普通に部屋干ししたTシャツみたいな幸せが欲しい。おなかすいた。

鈴虫

自分がそこに合わせに行くんじゃなくて、自然とそこにいられる人間関係がすでに出来上がっている場所を探しに行ける自由が欲しい。中年ほど凝り固まってはいないと思うけれど、自分の性格の根幹は不変だ。人の好みとしても不器用な人が好きだし、真っ直ぐ生きて失敗してる人を可愛いと思ってしまうから、思考回路がすぐ生き死にに直結するのもまぁ仕方ないことかなと思う。就活の窓口になっていた学科の先生は、とにかく元気な人はいい会社に入れて人生も成功すると思い込んでいる節があった。元気な人って、曲がりなりにも博士を出て准教授としてレーザーを使った最先端の研究をしてる人が口にするには語彙力が無さ過ぎるんじゃないかと思った。先生はいつも元気な人の代表として色んな人の成功例を挙げていたけど、それはその人が優秀だったりたまたまその会社に適した人だったり、元気かどうかとかそういう話の枠を超えた色んな条件がぴったり合ったことによる結果なんじゃないのかなぁと長話の果てには思っていた。だから、私のことをよく知りもせずにアドバイスしたり顔で自分を変えろとか強要してくるやつは信用できないねってことです。

昼なんか嫌い

私より適当な気持ちですいすい上手く生きてる人なんかとっくに見慣れてる。交流を広げよう広げようとしても結局気まずい人間関係ばっかり増やしてしまうのも、もうこれは私的人生勝利方法なんだとしか思えない。男性社会の中でこの先やっていけるのか不安。味方がいていいね。何やっても120%するんだから責任が重いことなんか引き受けなきゃいいのにね。下手にこじらせた自己肯定欲がいつも私の邪魔をする。期待されてると思って頑張っても予想通り放置だし、なんも報われない。なんっっっっにも。人に期待しないことが人生の大前提だよって誰か教えてくれれば良かったのに。

ひたすら大森さんかわいい

全部気のせいだといいな。生活や音楽に対する未練も。洗濯機が動く音を聴きながら、思考の網にこびりついた油とか埃も綺麗になったらいいのにと思う。シンプルな骨の部分だけが残って、それはそれはすっきりするだろう。

サブカル系の人は何者かになりたくて仕方がないこじれた人が多いって聞いたことあるけど、それは生きてれば皆そうなんだよねきっと。自分の本番用の土俵の上では勝てないから、勝てそうな他人の土俵に上がり込んで勝負したがるんだろう。アマチュアのバンドマンには別に憧れない。ローカルヒーローになりたいわけじゃない。でも女優さんとかプロのミュージシャンとか、最近は私と1つ2つくらいしか年が変わらない人が増えてきてて、なんか焦る。プロの演奏者になりたいって本気で思ったことあったなぁって、ぼーっとテレビの前に座ってる。私にはこれしかない、みたいなものはまだ見つかってない。それだけだ。自分が戦うべき土俵さえわかってない。需要と供給が繰り返される社会の中に組み込まれてすらいない、役割すら与えられていない学生の身分で、それを見つけようとするのは多分無理なんだ。今はまだ待つときだ。その間にだってやれることはあるぞ。

起きれない

今日は初めてTSUTAYAでCDをレンタルしてみたんですが、私にはレンタルは向いてないことがよくわかった。だってすごくいいアルバムはやっぱり欲しくなっちゃう!!!!借りた中に凛として時雨のCD2枚+DVD1枚が入ったアルバムがあって、その映像、めちゃくちゃかっこ良かった、、、、女の子なのに唸るベースぶいぶいしてて、耳に残るハイトーンのボーカルとそんなの歌いながらよく弾けるなっていうギターと、曲を華やかに演出する展開しまくりのドラムと、バンドの曲を聴いて感動したのなんか久しぶりだなぁ。すごく嬉しい。このアルバムうちの子にしたい。

凛として時雨は私が高校の頃の音楽好きの友達が好きで、当時たまと特撮をヘビロテして同年代の子とはまず音楽の趣味が合わないことを、寂しくもあり同時に少し誇らしく思っていた私にとっては、そんな若者に受けるようなチャラチャラしたバンド興味ないなーって思ってた。ビート感とか曲の展開よりも、変な歌詞で変な曲なんだけど聴いててなんかグッとくる、みたいな音楽を好んで聴いてたから、どうしても同年代の子が聴いてるものを好きになれなかった。でも今聴いてみると、そのときのイメージとはだいぶ違ってた。まずチャラチャラしてないし、全然流行りっぽい外見じゃない。名前が売れてるバンドにしては地味だ。演奏してる姿にどんどん引き込まれていく。裏打ちのハイハットとかテレキャスのカッティングとか、今っぽい曲に含まれる要素がたくさん入ってるけど、すごくガツガツしてて熱い。かっこつけたバンドマンっていうよりは、音楽に対するこだわりが強いオタクっぽい印象を受けた。久しぶりに見たかっこいいバンドだなと思った。

それでも思うのは高校生の頃にこれを見ても絶対に好きにはならなかっただろうな、ということだ。何が良いのかが全くわからなかったと思う。大学生になって聴く音楽のバリエーションが増えたし、今の私のiTunesは充実し過ぎてて楽園のようだ。色々な音楽を食わず嫌いせずに聴くようになったからこそ、今、凛として時雨をかっこいいと思えるようになったんだなと感じる。音楽との出会いに早いも遅いもない。あのとき流行ってたやつと思っても、今の自分にしっくりくる音楽はまだまだありそうだ。音楽ってやっぱりすごく面白い!し、いつまでも夢を見ていられる距離感でずっと付き合っていきたい。演奏者にこだわらなくても、私はずっと音楽を好きでい続ける。