秋だというのに

この街は選択肢で溢れている。そのせいで、検索すら面倒くさくなっていく日々。私が求めにいかなくても、目に映るのは広告、広告、広告。弘前にいた頃はそもそもが退屈だったので、少しでも面白そうなイベントがないか目を光らせていたのに、掲示板に貼られたポスターになんの魅力を感じなくなったのは、いつ頃からかなぁ。

何に対しても無気力だから、生きることにも意欲が持てなくなっている今、一回外出しただけで2箇所も蚊に刺されてしまった。蚊にとっては私なんかただの食料にしか過ぎなくて、私も立派に食物連鎖に参加しているんだなーと少し嬉しくなる。かゆいのは辛いけど、それって一番シンプルに自分の存在意義を説明できることの一つなんじゃないだろうか。私の血を吸った蚊は、今日一日を全うすることができたかな、ちょっと気になる。

 

なんとなく続きが気になったから録画したテレビ番組も、大好きで何回も何回も聴いているラジオ番組も、私にとっては鬱々とした毎日を少しでもキラキラさせてくれるんじゃないかと思って、そういうアイテムを見つけるアンテナにピーンと引っかかったものしか選んでいないので、ツイッター見ながら流し見したり、途中で見るの辞めたり、そんな雑な扱いされるとすごく怒りたくなる。だから自分の好きなものを共有するの嫌いなんだよな… それだと一生誰とも何も楽しめないかもだけど、自分の好きなものは自分が生きるための必須アイテムで、娯楽ですらないので、まぁそんな姿勢誰もついてこれないよねって諦めつつある。今日は彼氏と、私が見たくて録画した佐藤健が出てるトーク番組を見てて、彼氏が明らかに退屈そうに「先に風呂入ってきていい?」ってものすごく顔をしかめるので、思わず怒ってしまった。私は、嘘でもいいから楽しくその番組を見終わりたかった。別にそんなに佐藤健大好きで大ファンってわけじゃないけど、私が気になって選んだもの、少しは一緒に楽しもうとしてくれてもいいんじゃないの!?!?と。私は自分の感情の中でも怒りの感情に一番自信が持てないので、これは本当に怒って良かったのかなってすごくくよくよしている。それでもなんか、だって気に障ったんだもん… 別にいいじゃん、そんな嫌そうな顔しなくったってさぁ…. せっかく楽しく見ようと思ったのに、すごく悲しかった。

 

だから逆を言うと、誰かが好きなものを同じテンションで好きになるのは得意!私が自分の好きなものを勧めてスルーされて落ち込む経験をすごくしてるから、何かを教えようとしてくれる人に対して全力で応えてしまう。結構疲れるけど、色んなものを教えてもらえて、得な性格だと思う。私が好きなものは私が信じてるからそれでいいのだ。