女扱いされないよりもジェラピケ着こなせない方がショックでかかった。

前の職場で嫌いだった先輩の下の名前が思い出せない。

割と根に持つ性格というのと26歳という若さもあって、忘れることの難しさを痛感することがよくある。忘れたい過去も結構覚えていることが多いので、忘れられていると「あ!忘れてる!嬉しい!」と喜びを感じる。そんな感じで嫌いだった人の名前もネチネチネチネチと覚えているので、2年くらい前に関わっていた、割と最近まで関わりがあった人なのに名前を忘れているなんて、すごく嬉しい。最近は何度もその人の苗字を頭に思い浮かべて、「あの人の名前…… えーと、〇〇(苗字)…… の後なんだっけ…… ああー良かったまだ思い出せてない!このまま一生忘れたい!」と嫌なことを忘れているという事実を何度も反芻してウフフと嬉しくなっている今日この頃である。

 

雨宮まみさん著「女子をこじらせて」を読んだ。面白かった。

女性には珍しいAVライターを職業にする雨宮さん。本の中には、AV業界という圧倒的男性社会でどう生きるか、雨宮さんが何を考えてその業界を生き抜こうとしたのかが詳細に書かれていてとても興味深い。

AV業界ほどではないものの、私も男性社会の中で働く女性の1人だ。職場には、ジェンダーレスだ男女参画だと叫ばれる昨今の世の中とはかけ離れた、びっくりするような女性蔑視の姿勢を平気で露わにしてくる男性がいる。そういう人を見るたび、女性という性別が邪魔に思えて仕方なかったし、その一方でアクセサリーやファッションなど女性用のものを身につけて着飾る楽しみも大事にしたいと思っていた。雨宮さんは、前者のような姿勢を「内在した男性目線」と表現していて、なるほどその通りだなとあっという間に納得してしまった。

女性として扱われたくない、1人の人間として扱ってほしいと思っている背景には、性別に一番こだわっている自分がいることに気がついた。その自分から解放されるには、まず自分が自分のことを女性だということを受け入れること、そして女性であることも含めて自分だということを認めることから始まるとわかった(こと が多い…)。

私は嫌なことを言われると、あれは私が若い女(26歳なんて大して若くはないけど、職場の中ではかなり若い方なの!)だからあの人はあんなこと言ったんだろうかとか、やっぱり私みたいな女はこの職場なふさわしくないんだろうかとか、「女」「若い」ということを負の要因のように思ってしまうことがよくある。これってある種の呪いみたいなもので、自分ではなかなか拭い去ることは難しい。

雨宮さんは本の中で、確かに「女だから」「女のくせに」と言ってくる人もいるが、そんなの無関係に仕事を頼んでくれる人がいることも確かで、どうしてそういう人たちが無かったことにされてしまうんだろう、と考え方を改めたと書いてあった。私も実際にそれはあって、性別なんて一切気にせず仕事を頼んでくれる人もいる。そういうときは割と「それ絶対私の仕事じゃないよね… あなたの仕事だよね…」と仕事を受けること自体やる気が沸かないことが多いのだが、よく考えると、「この人は私を若い女としてしか扱おうとしない、ただ1人の若手として仕事を覚えてもらうために頼んでくれたんだ」とスーパー良い方に考えるとそういうことかな、と思えることに気がついた。

女性蔑視をする人がいるのは事実だが、全員がそうではないということも事実だ。いつでもそっちの方を忘れない心持ちでいたいもんだね。