私は私よ 心があるもの

今週の土日は実家で過ごした。理由としては、日曜日が母の誕生日だったことと、木曜日に産まれたばかりの従兄弟の赤ちゃんの動画が母から送られてきて、それに対して謎の劣等感しか抱けず「幸せそうでいいね」としか返事ができなかった私の心に強い不安を抱き、実家でのんびりすることで少しでも自分を取り戻そうと思ったからだ。金曜日、思い切って行った飲み会では惨敗で、しかもやりたくないのに任されてしまった幹事の役割から逃げたくて集金を後回しにしてしまった結果、月曜日にそれをやらなければならず、ああああもう全部投げ出したい!!!と気持ちが超荒んでいたので、土日は逃げることにして大大大正解なのだった。

平日にやりたいと思っていたことを全部やった。冬靴とコートを持ち帰ったし、向こうでは小豆とみたらししか見つからず、ずっと食べたいと思っていたゴマだれの串団子を食べたし、新しいものも買ったし、髪をばっさり切ったりした。普段モノが溢れた都会に住んでいても、欲求が無いと何にもならないのと同じで、逆に何もない田舎でもやりたいことがあれば割と叶うもんだなと思った。平日は無気力に過ごしていると思っていたけれど、場所を変えると案外ほしいものが思い浮かんだり、やりたいことがあったりするのだ。

本屋さんで、「7日間で自己肯定感を上げる方法」という本を買った。そういう本を買おうという気になるのも、都内で暮らしているとなかなか無い。人の流れの多さや、音の大きさに疲弊して、どれだけ普段全てを何となくやり過ごしているのかがわかった。その本は7日間どころか、およそこの2日間で読み終わってしまうくらい内容がシンプルで、わかりやすかった。普段母からよく言われていることをまとめたような内容の本だったから、なおさらわかりやすかったのかもしれない。内容を簡単に書くと、自己肯定感が低いために、他人の顔色や周りからの評価ばかりを気にして「他人軸」で生きている人が、好きなことを好きなように取り組むことができる「自分軸」で生きるための方法を教示するものだ。その本を読んでみて思ったことは、「案外私も自分軸で生きられているな」ということだ。すごく些細なことだけど、頼まれたことを断ったり、行きたくないと思った場所にはもう行かないようにしようと思ったり、ちょこちょこできていることもある。ただ、それこそが自分軸で生きること、という意識を持ったことが無いので、そういう行動こそ私の意思だったのかと新しい気づきを得た。明日からは、嫌なこととか、苦手なこととか、やりたくないことをもっと大事にしようと思った。

その本では、苦手なことをやらざるを得ない状況になって、もし失敗してしまったとき、自分の後輩が失敗して落ち込んでる時にかける言葉と同じことを、自分に言ってあげましょうと書いていた。まさに今の、苦手な幹事を引き受けてしまったがために、集金のタイミングを誤ってしまった私のことだなーと思った。だからとりあえず、「苦手でやりたくなかったことなんだから仕方ない。集金のことを考えることが嫌だったんだから。とりあえず今は、自分が立て替えた分を返してもらって、次もしも幹事を任されそうになったら断ろう」と言ってあげようと思う。母も同じようなことを言ってくれた。その本を読んで、母の言葉が改めて身に沁みた。

あとは、自分が好きなように行動した結果、人に嫌われても仕方ない、という気持ちを久しぶりに思い出した。自分軸で生きることにしたことで、離れていく人がいる一方、その方がいいと言ってくれて近くに居続けてくれる人がいることも確かだ。さっきまでは幹事を断ることが考えられなかったけど、今では断るための文章が頭に浮かぶ。「これってまた私が幹事をやる流れですか…?本当はすごく苦手でやりたくないので、誰かにお願いしたいんですけど…」って、どんだけ幹事についてぐるぐる考えてるんだ私。よっぽど嫌だったんだな…。自分でも気づかなかった。

この本には、「私は私」っていう言葉がちょこちょこ出てくる。大森さんの歌詞にも、よく見られる言葉だ。私は、部屋でパーティードレスを歌っていると大体号泣してしまうのだが、いつも心に強く響くのは、「私は私よ 心があるもの」という一文。今思えばそれは、自分の気持ちを押し殺しがちな毎日の中で、その歌のその部分だけが、私の本当の心の叫びを素直に表現してくれている、大森さんだけがその気持ちを歌にしてくれていたのだ。その本を読むまで気づかなかったけれど、ずっと素直にそう思いたかった。良いところも悪いところも、ああそれが、どうしようもなく私なんだった、って思いたかった。

こんなに、自分の故郷に感謝した日はなかった。生きていく上ですごく大事なことに、たくさん気づくことができた。それを得られたのが、ものが溢れた都会ではなく、何もないけどゆったりした地元だったのは皮肉か?素敵な家を買って、落ち着く空間を作ってくれた母に感謝だ。

時間は作るものじゃない、絶対に。いつだってそこにあるものだ。だから自然に、何かやれる感じになったら時間に乗ってそれに取り組んだらいい。無理矢理そこを空けてねじ込むのではなく、ちゃんと準備をして吟味して、行けるぞって思えたらどこかに行こう。やっぱり都会でも、音楽をやってる知り合いを作りたいな。自分がバンドを組むとかではなく、とりあえず音楽好きで趣味が合う友達を作りたい。そのために、小さいライブハウスに行こう。いつ行くかは決めずに、それをやろう。久しぶりに少しだけワクワクした。