しねとはいわないが

幸せに決まった形なんてない、いつか絶対幸せになってやる、っていうかもう十分幸せなのに、それは違う幸せの形はこうだって見せつけてくるやつの多さよ。それはマウンティング?なんで私が不幸だって決めつけるんだ?私が暗いから?しゃべらないから?大人しいから?ライブ行って誰かと知り合う気なんかねーんだよ、ライブ行ったらその音楽をただひたすら全身で聴いて、浴びた感動、幸福感を全部全部持ち帰って、それらを次の日からの装備品として身につけて生きていくことしか考えられないから、そこで友達作りとか意味わからん。お前らの幸せの方がつまんない。友達たくさんいて、遊び歩いて、旅行して、お金なくて、でもそれを誇らしげに話してるときのお前の顔気持ち悪いよ。挨拶もまともにできない、若いくせに偉そうで、周りの人をちょっとバカにしたような態度割とまじでむかつくよ。私よりお前らの方がずっと縛られてる、無理してるように見える。幸せのあり方はいつだって自由だ。時間は作るものだって、どの口が言ってんの。お前は使った時間で遊んでるかもしれないけど、私だって同じように作った時間で料理したりジム行ったり、私なりに過ごしてるんだよ。それを一欠片も想像しようとしない。きっとそんなこと考えたことないんだろうね、自分にとっての幸せは、世間一般に言われるような普通な、孤独じゃない、それの近似値叩き出してるからって偉そうにしたんじゃねえよ。大したことねーよ。

とかって頭の中でうちの若手の先輩たちを泣きながら殺してたら、彼氏から電話がきた。今日これからそっち行くからって。私にとっては、世界で1人だけ、正確に言えば2人、私のことを1番に考えてくれる人がいることが、1番の私の人生での価値だ。

明らかに色が違うんだ、私だけ。でもやつらには、大森靖子の音楽なんか必要ない。おはよーの価値も知らない。そんなのに、なんで私が疎外感を感じなきゃいけないんだ、どうして遊んでる時間が多いほど幸せっていう比例関係が成り立つような気がしちゃうのか、絶対違うだろ。私だって遊んでる、人に言って色褪せるのが嫌だから言わないけど、確かに楽しい記憶だってちゃんとあるのに。結局、声のボリュームが大きい人の言葉ばかりが蔓延する。それがメジャーだって祭り上げられてるだけで、それが普通だって勘違いしてるやつばっかだ。

久しぶりに、悔しい気持ちを思い出した。悔しかったから楽器の練習に没頭して、勉強に没頭していた頃の私を思い出した。あいつらより価値のある人間になってやる。それはちゃんと、世間的にも、みんなが認める価値を持った、必要とされる人間になる。悔しい。今はまだ何にもないけど、いつか絶対手に入れる。私にしかできないことを見つけて、誰も何も言えないくらい、実力でねじ伏せられるくらい強くなる。私は変わらない。意地でも染まらない。私は、私が正しいと思った態度で人と接する。あんな人たちに、合わせて生きていくことの方が不幸だ。