たわわ

挫・人間のインストアライブに行ってきた。ドラムなし、アンプなし、返しはあったけど、ステージの後ろにはでっかく「アイドル」の文字。本当にここでライブやるのかな… 場所間違えたかな… でもさっきから大音量で流れているのは間違いなく挫・人間の新譜だしな… と思いながら待つこと約45分。サポートドラムはおらず、メンバーの3人が楽器を持たずに登場。挫・人間のライブは結構振りが多いので、前から2列目にいた私はかなり不安な気持ちに。周りの人達全員狂ったように完璧な踊りを披露し、振りを全然覚えてこなかった私は、まるで宿題を忘れた小学生時代の頃のような罪悪感を抱えることになったらどうしよう、、、 関係ないけど、最近チーズ味のスナック菓子を食べようとして、食べる前に匂いを嗅ぐと、ものすごく嫌な記憶が蘇る気がするのはなぜなんだろう。

曲中、いきなりみんながパラパラを踊り出したときは流石についていけなかったけど、それ以外はなんとか踊れた。間近でみたリヲくんは小柄で、首元に黒いリボンがついた白いブラウスを着ていて可愛かった。確か2つしか歳が変わらないはずだが、もっと年上に見えた。貫禄あったなぁ。

僕を滅すると書いて僕滅。みうらじゅんが言う自分無くしって、私の人生にもすごく必要なことだと最近すごく思う。それって、食べたいものを聞かれた時に「なんでもいいよ〜」って適当に答えるようなこととは違う。そういう目の前のことに対する希望を特に持たないということではなく、「わかってもらえなかった」という気持ちを持たないようにすることかなと自分では理解している。相手が受け取った私の気持ちが、私にとって不本意だったとき、それを説明して正そうとしたり、そういう受け取り方をする相手を責めたり、そういうのをやめようってことだと思う。

ただやっぱりわかってもらえないのは結構キツイし、「そうじゃない」っていう相手に対するエゴがあるのはつらい。そういうのを受け入れてくれるのが私にとっては音楽だ。極端で理屈っぽい音楽が好きだ。私のわかってもらえなさを現実の人間に差し出して受け取ってもらえなかったものでも、音楽の中でなら消化されていく。変な人のまま愛されていたい、トラウマなんか何一つ克服できなくても幸せでいたい、その気持ちを、私が好きなミュージシャンは肯定してくれる。

挫・人間も例外ではない。新しいアルバムの中の一曲に、「ごめんね それでも未来が好きです」みたいな歌詞があって。私は好きな音楽とか映画とか、人生における悲しみや苦しみに焦点を当てたものが多いから、生きることに対して絶望し過ぎてると思われがちなんだけど、それはいつもそうじゃないんだよなぁと思いながら相手の話を聞いている。手続き1つ、もしくはその前段階でつまずいちゃうし、すぐ死にたくなるし絶望するし、一番好きな人に対する態度とかもなんかよくわかんなくなったりしょっちゅうだけど、それでも「次こそは」って思わないと生きていけないし。迷惑ばっかかけるけど、相手が私に「次」を提示してくれる限り、頑張りたい。

挫・人間のライブDVDも見たけど、最後、みんな大ニコニコで、それだけでそのライブの良さが伝わってきた。音楽で救ってやる!!ではなく、今も現在進行形で音楽に救われている人が提示する音楽で、私も一緒に救われたいと思ったら、それはもうかなり好きになってしまっているんだろう。仙台のワンマン、土曜日だし行こうかな…。