だちょう

昨日は高円寺フェスで、みうらさんといとうさんのトークイベントを見に行ったから、楽しい1日だったはずだ。なるはずだった。8時間は寝たのにひどい寝不足で、トークイベント終了後、頭の前の方がガンガン痛み出して、目を開けているのが辛くなって、夜会う約束をしていた彼氏にラインやら電話やらでひどい八つ当たりをしてしまった。彼は私と会えなくても1人で充実した時間を過ごせるのに、私は晩御飯も食べれなくて、ちゃんと1人で過ごす時間を使いたいのに使えないのが情けなくて悔しくて悲しくて死にたかった。高円寺フェスは1人で行った。だから私は1人でもイベントを楽しみ尽くせるぞっていう自信をつけたくて、激混みのカレーイベントに行ってみたり、普段は興味のないスタンプラリーに挑戦したり、結局時間がなくなって最後まで果たさなかったり、私なりに時間を有効に使ったつもりだった。でもそれは、どうやら自分が思っているよりもずっと心身に負担になっていたようで、彼との些細なやりとりの中で突然爆発させてしまった。制御不能になってちりのようにバラバラになった私の感情はさっきまでの楽しかった大好きな2人のおしゃべりの内容を吹き飛ばし、後悔と申し訳なさと悲しみでいっぱいになってガンガンガンガン痛む脳みそを抱えながら川崎のアパートに帰った。この後悔はすごく深い傷になる。どうして楽しいまま帰れないのか、一番好きな人に暴言を吐くのか、自分が人間ではない恐ろしい化け物になったような気がした。もういっそ化け物になって嫌われるならそれもいい。

そんなわけで、みうらさんといとうさんの話の内容はあんまり記憶できなかった。それでも楽しくてたくさん笑ったのは覚えてる。あと2人の声も。2人とも、ラジオで聴くよりもずっとはっきり言葉を発音していて、いい声だなーと思いながら聞いていた。なんとなくテレビも見れないし音楽も聴けないとき、2人のおしゃべりに何回も助けられたから、生声を聴けただけで正直十分だった。みうらさんが用意したスライドには、色鉛筆で描かれた岩木山の絵も混ざっていて感動した。私が弘前で一番好きだった景色。みうらさんは今まさに山ブームがきているらしく、そのタイミングで岩木山を見てくれて嬉しかった。

高円寺フェスに行く直前、みうらじゅんが出た土曜スタジオパークの録画を見ていたら、番組の最後で視聴者から、「みうらさんはいつも自然体に見えますが、どうやって仕事のやる気を出しているんですか」という質問が読み上げられた。それに対してみうらさんは、「いつも真面目に不真面目なことをやるということしか考えていません。だから自然体っていうのはやめてます。レッツゴー不自然体で仕事してますから」と答えていて、思わず泣きそうになってしまった。そうだ、私も不自然体でいて正解なんだ。自然体の自分がどんどん見えなくなる、不自然な振る舞いをして、しっくりこなくて、それでいいんだなぁ、だってそれは仕事だし、人と対面するのであればある程度自分を作るなら当たり前なんだし。誰かとうまく時間を過ごさなくて、あのときああしていたらもっと楽しかっただろうにとか、これを言えばもっと笑ってくれたかもしれないとか、そんな後悔はせず、ギクシャクしてしまったのは仕方ないし私はレッツゴー不自然体で生きていく、このままの自分じゃとても外ではやっていけない、だからせめて仕事をするに困らない自分で明日も寮の扉を開けて会社に向かう。

 

どっちの道を選んでも不正解。正解ではなく、どっちも不正解。そんな究極の二択に、生きている中でぶち当たるのはそう珍しいことではないけど、今は割と大きな問題で二択どちらが選ばなくてはいけなくて、つらい。引っ越すか引っ越さないか。彼と一緒に住むか、寮生活を続けるか。未だに迷っているけど、それは彼には言えない。言ったけど、うまく説得できなかった。ひどい閉塞感。まるで生きてることさえも行き止まりで迷うように、行き詰まっていることに気づかされてしまう。今の部屋をもっとこうして、私が気に入るように工夫する元気はない。毎日食事を用意して、洗濯してお風呂に入って寝ることで精一杯だ。そんなんで彼と暮らしてやっていけるのか、家賃がいきなり5倍近くになってそれをこの給料で払っていけるのか、不安でいっぱいだ。それでも間取りを見て生活を想像するのは楽しいし、なんとかごまかして部屋探しを続けている。何事も気楽に、楽しんでやっていけたら、どんなに楽かという問いは、できるわけもないので私の人生には無関係だ。

とにかく早く歳をとりたい。経験がないから選択肢もない。みんな同じ空の下でーみたいなJ-POPで泣けたら、私も不感症になって何も考えずに生きられるのかもしれないけど。もう自分のどこも変えたくないし、変えられないのは十分わかったし、それを肯定してくれる音楽は間違いなく存在するのはわかっている。だから生きる。1人で生活を営めるくらい、強くなるために、働く。