大変な台風

2018年までの数年間、夏の魔物というフェスは私にとって1年間の、いやその後数年後の大事な大事なターニングポイントだった。今年は住む場所も変わって、関わる人も少しずつ変わって、本当に直前までまじそれどころじゃない毎日その場所で酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すことで精一杯だったから。それでも素晴らしいことに当日券という最大の味方が降臨してくれたおかげで、当日、今年で出演は最初で最後かもしれないとツイートしていた挫・人間とか、ヘッドライナーを務める筋肉少女帯とか、頭の中で彼らの占める割合がむくむくと大きくなるのを感じつつ、いやいや今日は彼氏と約束があるからと半ば無理矢理思い直し、自分の足を三軒茶屋駅へと向かわせていたのだが、徐々に耐えきれなくなり、ごめんなさいやっぱりお台場に行かせてくださいごめんなさいごめんなさいと謝罪。いいよ、楽しんできなよと言ってくれる彼氏。神か。ありがたかった。

夏の魔物って、本当にゴタゴタしたフェスだ。そして毎年ゴタゴタしたトラブルが起きる。今年も見事なカオス感。それは場所が青森でもお台場でも変わらなかった。でも、サブカルすら東京にしかないということを痛感する。多分青森でそれをやる意味って、やっぱりもしかしたらあったのかもしれない。東京にしかないはずのアイドル文化、パンク、プロレス、それがなんと北の小さい町に一年に一度に集結するって斬新だ。逆に言うと、東京でしか売れない人たち、それは東京の人口の多さもそうだし、多様な文化に対する理解度が田舎と全然ちがう、そんな人たちが、人口も少ない、大々的なメインカルチャーしか入ってこない、もしくは完全なる身内ウケに固執してばかりの青森県に、本当に来てくれるの!?!?って感じだった。トモフとか絶対知られてないでしょ!!大森靖子の歌を、しかもライブハウスで歌ってもまっっったく通じなくて、だから夜越山でやってもどうせお客さんのほとんどは県外の人だったと思う。青森県民なんてクソだもん。私は全然馴染めなかったので、そう感じることを許してほしい。

だから近年、夏の魔物が関東で開催されるようになって、やっと需要があるところに供給されるようになったなと。ざまーみろ青森。これでまた一つ大きな出し物が東京に吸われちまったぞ。なんとかするにはもっともっと面白いイベントをやらないとダメだぞ!!なあ!!!!

さきちゃんに、本当に青森嫌いだよねって言われる。嫌いではないけど、田舎ならではのひねくれ感、どうせどうせ言いながら、結局外に出られない人たちをたくさん見てきた。最初は夢があることばっかり言って、いざ一緒に活動してみると、口だけだったり、メンバーに対する愚痴ばかりだったり、グダグダ言って結局何にもならなかった。青森にいて、すごそうな人はいても、本当にすごい人には会えなかった。という記憶が強いので、就職してから出会った大人で、すごく偉そうだし高圧的な態度だとしても、会社にすごく貢献していたら仕事をきちんとやる人だったり、ちゃんとすごい人っているもんなんだなって思った。

予期せず、田舎に対して悪態を吐く回になってしまった… でも、夏の魔物は青森でやってても本当にいいイベントだった。東京に来てもそれは変わらなくて、すごく安心した。主催者の成田くんには、感謝しても仕切れない。受験勉強と部活に追われて救われない高校生活を音楽で支えてくれたTOMOVSKYを青森に連れて来てくれた。大森靖子を好きになったのも、魔物のおかげ。大森さん、成田くんと仲直りして、また魔物に出てほしいなー。あの広大な夜越山の原っぱをアコギ一本で制圧した、たった1人で、しかも女性で。音楽は魔法ではないって叫んで、アカペラで歌ったさようなら。今思い出しても泣きそうになるくらい、かっこよかったよなぁ。

私が好きなカルチャーを追いかけるだけなら、さっさと上京しちゃえば良かったのかもしれないけど、でも田舎にいたからこそ、こいつらには絶対に絶対にわからないすごくいい音楽を、この学校では私だけが知っているっていう謎のマウンティングを1人でやってたから、好きな気持ちはどんどん増していた。東京じゃないし、ネットもなかったから相当偏ってたけど、それでも周りの同級生より少し勝った気持ちでいた。音楽はちゃんと、私のそばにずっといてくれた。イヤホンをすればどこでも1人になれた。私だけの世界だった。だから別に、もっと早く東京来てればとは思わない。てか大学で上京しちゃってたら、魔物で大森さんを見ることもなかったし。

今テレビでは、関西での台風被害のニュースをやっている。冷静に考えて、なんで今自分が無事で、こんな文章を書いているのか謎だ。きっと私より優秀な人、やりたいことがあった人が、被害に遭っていて、そういうの、考えればキリがないけど、やっぱり胸が痛む。魔物、行っといて良かったわ。