クソです。

ねばならない精神を捨てるというのはなかなか難しいわけで。私は全く強くもないし大人でもないし落ち着いてもいないし感情的になるしくよくよくよくよするし、だってしょうがないじゃんこの体この心で24年間生きてきたんだもーん、それでもやっぱりこの人ともっと話せば何か生まれそうだ!!!!という感覚の鋭さは、他にめったに見られないだけに根拠のない自信があって、それはまぁ単純に私が好きなだけなのかもしれないんだけど。それでもさー、やっぱさー、人間関係を一歩進めるとか本当に気になる人と会話をするとか、人間関係ってエネルギーの消費しかないじゃん。自分が思う気遣いと、常識とされている気遣いのレベルが全然違う。レベルというか方向?結局私はどうすれば良かったんだ?やらなかった後悔よりやった後悔というのはどんな場面にも通用しそうだ。通用するだろうしそれを肯定したいけど。7月の占いでは、愛し愛される、愛に報いる月だと書いてあった。今はまだ6月22日なので、全然7月じゃないけど、それはそういう風に都合よく受け取っても問題ないのだろうか。人を愛するのはめんどくさい。異性とか同性とか関係なく、お互いの立場や意気込みや呼吸をなんとなく相互理解していて、尊重し合う。そのなんと手間なことか。しかしだからこそ、「その人を心底愛した」ことになるのだと。思うようなやりとりにはならない。またラインのトーク画面をボロボロに壊してしまった。教えてもらったYouTubeのリンクが、情報の端に恥に追いやられてしまった。そんなことでぐちぐち悩んだり、ラインの文言で悩むのももう終わる。私は研修が終わって仕事が始まったら、かぐや姫が天の羽衣を被ったときのように、きれいさっぱり研修のことは忘れてしまうと思う。今、未来の自分が今大事にしていることをないがしろにして捨てていくのをみるのは、多分辛いことだと思う。その紙ぺら一枚でも、私はきっと何かの理由につけて保存しとこうと思ったのかもしれない。だからこそ、別にそんなのどうでもよくて、そんなことより仕事仕事仕事ってなる前に、私はただやり切りたかっただけなんだ。自分の心が反応したからには、力の限り愛情を尽くしてしまうのは仕方ないことだ。私はただ仲良くしたいだけで、ただ友達になりたくて、配属後少しでも覚えていてほしくて、私もいい思い出として覚えていたくて、それだけのために試みただけだ。大森さんがいう、死んだように生きたくないってのはもっと大きな話かもしれないけど、私にとって本当に生きるとは、傷を負ってでも欲しいものは手に入れるってことだと思うし、その姿勢の中に恋人がいるとか異性だとか関係なくて、ただの人同士のぶつかり合いで、それは冷静になればわかることなのでしょう。私は何も壊したくない。欲しいものは全部あるべき形のまま手に入れたい。幸せな勘違いの夢を見ているだけでもいいから。