死して尚死

人は、いつか必ずいなくなる。その兆しがあってもなくても、そしてそれは人間の、生物の力では操作することはできない。物事は作るより壊す方が簡単で、手に入れるよりも捨てる方が簡単で、生きるより死ぬ方が簡単で。失う方が楽な世の中で、何かを手にしたり誰かと出会ったりすることの意味とは。出会ってしまったら最後、必ず別れなければならないことはわかっているのに、どうして関係を築いていくんだろう。自分が生きている世界が、漫画やドラマや映画の中みたいに永遠その平凡な日常が続いていくわけではない、という、最も不安に近い事実を唐突に突きつけられる。今日の昼思いついた晩ご飯を、本当に今日の夜食べられるかどうかなんてわからない。そうして時々ハッとして、この先の延長線上にある「失う」恐怖を想像して、たまに生きる意味とか幸せとかについて深く考えたり。自分が今生きていることは設定でもなんでもなくて、ただの生命の営みの中にある確率の中に存在しているだけで、お約束の展開なんてありゃしないのだ。

だけど、そんなことは普段忘れていた方がいい。いつでも、立てた計画は予定通り進むのが一番いいし、夜は眠れるのが一番いいし、好きな人は永遠に生きていてくれるのが一番いいし。それこそが真実、ってことにしておかないと、毎日危ない橋を渡り続けるだけになってそれはそれで不健康だ。いつが、どの日が最終回かは人生において決まっていないから、だから終わりなんか意識したくない。