長縄跳び

約2年ぶりに高校時代の部活の友達4人と会った。私ともう1人以外はすでに社会人で、1人は認定こども園の職員、2人は公務員。以前同じように集まったときにはまだ大学の学部生で、正直みんなの変貌ぶりについていけなくて、1人取り残されたみたいでつらかった。そのときの私には彼氏もいなかったし、男の話無しでも楽しく過ごせる大学の友達の方が好きだった。久しぶりに会った元友達だと思っていた人たちは、何となく今の私に近づいていた気がする。それぞれ今の状況に満足してるものの不安があって、友達の数が少し減っていて、家族を大事に思っていて、あとここは少し違うけれど、地元に愛着を抱いていた。前に会ったときよりも目線が合っているというか、多分大人になるってこういうことかなぁって感じだ。下品な話が好きなところはあんまり変わっていなかったけど、そもそもテンションが落ち着いていた。きっとみんなと同じように、私も変わったんだろう。

友達って不思議だ。高校の頃は家族よりも長い時間を共有していたから、共通の話題どころではなく、一緒にいるのが当たり前だった。私は本当に、あのときの部活の同期が大好きだった。でも大学に入って疎遠になって、自分の周りを取り巻くそれぞれの特殊さに浮かれて、話す内容も何となくマウンティング感を帯びていた。友達の数の多さ、先輩との親密度、彼氏自慢、親が離婚したり学科で友達が出来なかったりした私にとって、ずっと友達だと思っていた人たちはキラキラしたディズニーランドに永遠に住み続ける存在になってしまったんだなぁと思って、ひたすら悲しかった。でも大学を卒業して、なる人は社会人になって、私は進学して、いろんな経験をしたんだろう。あの頃幸せそうだった子は、そのときの彼氏に9万円払って別れたと言っていた。学費の高い私大に通っている子は、鬱になって休学したり留年したりで、卒業するか中退するか迷っていた。税金の徴収の仕事をしている子は個人相手だそうで、怒鳴られるのはしょっちゅう、ノルマもあってキツそうだった。認定こども園は振替休日が無く、土日が潰れても平日は通常出勤で大変だと言っている子もいた。

大人になると、きっと状況が似てくるんだ。特別なことが無ければ仕事をするのは必須だし、親は歳をとるし。高校生の頃を第1だとすると、きっと今が第2似ている期なんだ。その後結婚したりしなかったり、子供ができたりできなかったり、学校に入り直したり、海外に行ったりして、また少しずつズレていく。でもそのときは器がもう大人だから、そのずれを補正することは簡単なのかもしれない。次あと何年後に会えるかはわからないけど、そのことを意識せずに幸せになっていたい。