踏まれたガム

院生になっても尚、ゼミの度にみんな死ねみたいな気持ちになるのやめたい。というか院生になってからの方がむしろ、そう思うことが増えたかもしれない。いつまで経っても、研究内容に対するこれじゃない感が拭いきれない。なんで歩行に関する研究やってるのに音声の録音について調べてんの?論点がずれてるのはわかってる。それが実験に必要なことだから、実験本番で失敗したくないから、ちゃんとやりたいから私だって慎重にやってる。本気を注いでも注いでも実にならない研究を追い続けるのはもうやめたい。頑張って書いた英語の論文も無かったことにされた。もうすぐ終わる。せいせいする。

世間的には必要とされてないけど難しいことを研究している学生は讃えられる。それが完成したら本当に世の中良くなるの?自己満足にしか私には見えない。世界はどんどんどんどん進んでいる。私の研究だって、どんどんどんどん追い抜かれる。もう遅いよそんなの。時代遅れも甚だしい。結局はお金があって人もいて、実行力の高い大学や会社や国が全部持っていく。そんな中で北の外れにあるちっさい大学があがいても無理だよ。無理だから、出来る範囲の振り幅を最高にして全部全部やるくらいじゃなきゃ満足いく結果は得られないよ。規模が小さいから出来ることもある。もうすでにやってる人がいるかもしれなくても、それさえも無理な空気が意欲を食っていく。そんな状況下にいてどうしてみんな笑えるの。楽しそうに友達作ったり出来るんだろう。わからない。院に進むのは大抵「就職に有利だから」。そんな意識で院に来て就職しても何にもならないよ。その意識の低さは絶対直らない。なんでくんだよ。

今日まともに挨拶したり会話をした人は、ゴミの回収をしていたおじさんと、廊下をほうきで掃除していたおばさんと、車椅子の学生の排泄補助のおばさんだけだ。みんな生きていれば何かしらの価値は絶対にある。でも私は、同じ研究室の人たちにそれを見出せない。軽蔑し続ける悪い癖が直らない。だから居られない。在室表示は性格的に本当無理すぎて、私の名前が書かれた磁石を持って帰ってきてしまった。はやくいなくなりたい。