普段

最近聞かれて一番返答に困った質問について考えてみた。

 

「彼氏と普段何してるの?」

 

行く場所や具体的な行動内容を答えようと、必死で考えて答えてみると、スタバ行ったり、勉強したり、映画見たり、、とかかなぁ、、、てかこれ側から見てすっごいつまんなさそうだな、私たちって普段こんなつまんないことして過ごしてるのかな、と少し不安になる。

彼といて何がそんなに楽しいか、さらによーく考えてみて導いた答えは、「ふざけられること」だ。

最近職場にリフレッシュルームなるものができて、ここ数日は連続してそこでさきちゃんとお昼を食べるのだが、まーふざけられない。もっと簡単で安くてくだらないことでゲラゲラ笑いたいのに、さきちゃんは人の悩みの話とか、文学と医学の違いとか、なんかそんな真面目な話ばっかりで、正直仕事の合間のリフレッシュには全くならん(ごめんねさきちゃ、、、)。

そういえば私、女の人の前でふざけられたことってそんなにないかも、と新たな気づきを得る。女の人って、何かをごまかそうとか、別にそうでなくても冗談に走ろうとすると、そういうのよくないよバシッ、みたいに説教する人って多くないですか、、、 私は外面がいいのでおそらく周囲の人はほぼ誰も気づいてないと思うが、ふざけるのが大好きだ。ちょっと怒られるようなイタズラとかやってみたい方だし、それでも本気で怒らない関係が築ける相手と友達になりたい。

彼氏とは笑いのツボが結構近いし、割と同じくらいの気持ちでボケたりふざけたりできてとても楽しい。

 

こんなに好きな笑いの方向性は近いのに、その他の趣味はほぼ合わない。彼の好みの方向と私の好みの方向は、ここがもう少しこうだったら好きだったかも、という具合に近いことは近い。彼は私よりも、感情を芸術に昇華させたものが好きで、私はその感情のどろどろをヒダまで表現したものが好きで。彼が私の好きなものを聴いたり見たりすると、直球過ぎて受け止められないって言われるし、逆に私が彼の好きなものを見たり聴いたりすると、なんか偉そうで鼻につく、と感じる。

だから私は、二度と趣味の共有なんか試みないぞと、失敗するたびに思うんだけど、11月末には私が大好きな仲井戸麗一のライブを一緒に見にいく予定だ。私の趣味の中では比較的オシャレだし、彼も好きなってくれると嬉しい。チャボのライブは、大学生で結構精神的に辛かった時期に見に行ったのが最後で、そのときのライブは本当に最高で、チャボが最後のMCで一言二言話した後、大音量でWhat a wonderful world が流れて号泣した思い出がある。幸せな気持ちになって、自分の存在を認められた気がして、ここにいてもいいよって。そんな大事なミュージシャンのライブを、趣味が合わない彼と見るのはとても不安だけど、また楽しい気持ちになれたらいいな。

くらし

1日1つ楽しかったことを書く、と彼氏と約束したはずのブログが、悲しかったことをつらつら書くことが最近多くて、そういうのすごく寂しいなと思いつつ、また泣きながらブログを書いている。悲しみを成仏させたくて文章を書こうかなと思うけど、楽しかったことはあんまり書かないからどんどん流れてく。後で読み返すものでもないし、別にどっちでもいいんだけど。約束全然守れてないや。ごめん。

彼氏が、私のことめちゃくちゃに嫌いになって、いつかフってくれることを心のどこかで祈っている。私は多分相手のことを嫌いになることはないと思うから。同棲も、ましてや結婚なんか、実現してしまうのがとても恐ろしい。実現したら幸せ過ぎて死ぬんじゃないかなって。その準備をしている最中に、私はまたひどいことを言ってしまった。1週間前まではあんなに楽しそうだったのに、って、また気分の変わりように驚かれてしまった。この間精神科で薬をやめたいって言ったばかりなのに、私にはまだまだ早かったようだ。安定したい。ただそれだけだ。雨が降ったら傘をさしたり、晴れたら閉じたり、そんな風に淡々と柔軟に生きられたらどんなに楽か。

明日からは仕事のことだけ考える。働く。

東京タワー

半年間勉強を続けていた試験がやっと昨日終わったので、これまで使ってきた勉強道具を少し片付けた。解答速報の結果では、合格している予定だ。公式の解答ではないのでまだ少し不安は残るが、とりあえず一安心。公式で解答が発表されたら、自己採点してみて、本当にちゃんと合格しているようであれば、参考書などは一気に捨ててしまおうと思う。大学受験のトラウマから完全に離脱したとは言い切れない精神状態で受験したので、合格してたらすごく嬉しい。勉強がちゃんと実を結んで、また一つ自分を強くできたら、失われつつある自信を少しは取り戻せるかもしれない。

昨日と今日で一冊ずつ本を買った。読書は全くできていなかったが、久しぶりに文章を読んでみるとやっぱり楽しい。買った本は、雨宮まみの「東京を生きる」と、磯部涼の「ルポ川崎」。勉強が落ち着いたので、これからは自分の暮らしにちゃんと向き合おうと思って、この街を好きになるために買った二冊だ。

「東京を生きる」の著者、雨宮まみは、以前少しだけブログを読んだことがあって、その文章が飾らなくて素直で、これから40代に突入せんとする意気込みや、毎日の積み重ね方がすごく素敵だなと思って、ぜひ本も読んでみたいと前から思っていた。この「東京を生きる」は、前書きを読んで買おうと決めた。「雨宮まみ」の文字だけで手に取った本で、全くタイトルには目がいっていなかったのだが、その前書きには、地方から東京に移り住んで、どう東京に馴染んでいくか暮らしていくかということが書いてあって、今まさに私が知りたいことが前書きに触れられていたのだ。地方に住んでいた私が思い描いていた東京、今自分が神奈川に住んで頻繁に目にするようになった都会の風景、それらを自分の生活、人生にどう落とし込んでいくか、今の私には全く手がかりがないのだ。この本の前書きを読んだとき、その手がかりにこの本がなってくれるんじゃないかと期待して買った。

「ルポ川崎」は、私が今住んでいる川崎市について知りたくて買った。私は川崎に住んでいても、この先川崎市立の小学校や中学校に入学することは決してないので、ただただ暮らしているだけではこの街のことがわからないまま終わってしまいそうな気がする。きちんと馴染んで、地元民然とした顔ができるようになるには、あまりにも時間がかかり過ぎる。綺麗に整備された駅前くらいしか行かずに終わるにはもったいない、私が知らないこの街のリアルを住んでいるうちに知りたくて、読んでみようと思った。

 

彼氏は、積極的に同棲の話を持ち込んでくれるようになった。今週も迷惑をかけてしまったのに、優しい人だ。そんな彼の話を聞いていると、私はそろそろ本当に死ぬんじゃないかと思う瞬間がある。だってほら、ドラマに出てくるヒロインは、これから幸せな毎日を送っていこうねと恋人と約束をした次の日、不慮の事故とかで死にがちじゃないですか。同棲の実現はこれまでにない嬉しいことなので、逆に叶いそうなのがすごく怖い。叶いそうとは言ってもまだ何も現実的な準備は全く整っていないし、ただ私も彼も重要な試験が終わって少し同棲について考える余裕ができただけなので、まだまだ叶うかどうかはわからないんだけど。それでも、アパートやマンションの内見に行ったり、不動産屋さんのホームページ見てあーだこーだ言ったり、それを想像するだけでもかなり楽しそうだ。そんな楽しい日々が実現するなんて死にそう、、、 とりあえず今週もまた生きていけますように。

 

超グミ食べる

精神科でもらった漢方薬なんか効くわけねーだろと完全になめていたが、一昨日、昨日と薬が切れていて飲まなくなってから、不調モードに突入しつつある。昨日病院に行って今日処方箋をもらったから、今日から安心だ。私は婦人科でPMSだと診断されてからそれ用の薬も飲んでいて、ふと、自分の落ち込みを薬で解決していることに気づき、改めてショックを受けた。婦人科の薬は、飲まなければ生きていけないくらい私にとっては大切な薬だ。これが無いとただでさえ起伏の激しい性格が崩壊するので、飲み続けなければならない。こんなに薬が多様に無かった時代の人たちはどう生きていたんだろうと考えるとゾッとする。薬がないと生きられないなんて、なんて不便な体なんだろうか。

やっぱり、1人は寂しいものだ。ただ、それを紛らわせることのできるコミュ力も人望もないので、私の寂しさほど無駄なものはないなと思う。だいさんのことも、多分もう誘えない。だって他人と2人で食事したりするの本当はすごくすごく苦手なんだもん… 女の子とも無理だし、男の子とも無理だ。緊張するし気を遣うし、せっかく一緒に食べたものも、緊張し過ぎて味を覚えていないこともよくある。親しい人とご飯食べるのって、安いものでもほんとーーに美味しいよね!!!楽しく過ごしたいのに自分がそんな状態だと、相手にも申し訳なくなるから、やっぱりまだ人は誘えないなぁ。

先週はけっこう調子良かったのに、今週はもうすでにダメそうだ。先週から今週は地続き感があるので、冷静にその二つの週の自分の気分について考えてみると、私はどうやら自分の生活のクオリティにすごく縛られているようだ。一番は食事だ。本当はお昼ご飯も自分で作りたい。毎日お弁当は太るし、お金もかかるし、あんまりそうはなりたくない。ただ、会社に行くとそうも言っていられない。お昼が用意できなければ買って、とにかく食べないと、少しずつ増えつつある仕事に対して対応できない。それでも私の会社が入っているオフィスビルにはたくさんの飲食店が入っていて、お昼の時間帯には大体どの店もお弁当を売っていて、それがしかも手作り感があっておいしいのだ。だから栄養偏るから食べたくないなーとか思うと、せっかくこんなおいしいお弁当作ってくれてるのに、まぁ買ってるのは私なんだけど、そんなこと考えながら食べるのも体に良くなさそうだし。もう多少太るのは仕方ない!!元気がないとジムにも行けないし、痩せることもできないんだから、お昼はせめておいしいもの食べるくらい自分を許したい!!それをまかなうお金もあるわけだし。それでも、お弁当自分で作っても買っても、それはどちらも自足自給では全然ないけれど、買ったものばかり食べるのって、罪悪感がなんとなーくあって… 生きるって難しい。

おなか空いたらエネルギー源になるご飯を買って、具合が悪ければ病院行って、決して安くはない病院代と薬代を払って薬を買って、私はどうしていつも生きるほうを選ぶんだろう、っていうのの答えは、大森さんの著書に書いてあった。けど今は思い出せない。丁寧に生きられない感を背負って、また雑に今週も生きてしまいそうだ。雑に生きるくらいなら死んだ方がいいかもしれないけど、死ぬくらいなら雑でもいいから生きてる方がいいのかもしれない。今週もあと2日。長いなぁ。

10:00

川崎も涼しくなった。冷たい空気と雨の匂いは青森とさほど変わらなくて、なーんだおんなじ日本じゃんか、と思った。東京駅から川崎に戻るとき、東京タワーが必ず見える。東京にいたら東京タワーは珍しくなくなる。きっとニューヨークにいたら自由の女神は珍しくなくなるんだろう。そうやってその土地ならではの特別なものも、自分がそこの人になればそれは日常の風景の一部に溶け込んで、色んな土地での生活を経験した分だけ自分の体と意識が広がって、丸い地球にぽこぽこと知ってる土地が増えていくのかな。そういう暮らし方も、なんだか楽しそうだ。

 

今はわりと調子が良くて、今週はジムに4回も行けたので、前回の日記は怖くて読み返せない。前回の日記を書いたときは、体の隅々まで生きることへの絶望がギチギチに詰まったようで、泣けば泣くほどその濃度が上がっていくようで、起きてると泣くことしかできないから寝たりジムに歩きに行ったりして、紛らわせて過ごした。10分前の気持ちの色を、今になると全く思い出せない。風船がしぼむみたいにみるみるダメになっていく私の機嫌をどう扱ったらいいかわかんなくて、自分でもわからないから横にいる彼氏は多分もっともっとわかんなかっただろう。余計に悩ませてしまって、本当に申し訳なかった。

これは最近気がついたのだけれど、私は鬱傾向ではなく、どちらかというと躁鬱気味な気がする。だから、就活中のとき私のSPIの性格診断の結果を見て、鬱傾向が強いみたいだけど大丈夫ですかって聞いてきたクソ面接官が言ってたことは間違っていた。 鬱が続いて困るというよりは、自分の感情をコントロールできなくて困っていることの方がずっと多いからだ。

そのきっかけがどこにあるのかがわからず、とても不安な毎日だ。いつまたあの絶望で真っ暗になる感じが襲ってくるかわからない。1人の方がいいのか、誰かそばにいてくれる方がいいのかすらわからない。ストレスは、良くも悪くも確実にダメージを与えてくる。困るのは、良いストレスも私にとってははっきりとした負担になってしまうことだ。最近の不調は、研修期間中に頑張りすぎて、それがきっと躁状態みたくなっていて、その反動で今あんまり元気がないように感じる。研修中はとにかく友達が欲しくて、できるだけ笑おうとか、タメ口頑張ってみようとか、飲み会も積極的に行こうとか、私を気に入って欲しくて色んなことを意識して過ごしていたから、私的にはずーっとハイテンションだった。だから、彼氏と2人になると全然ダメになっちゃって、彼氏が通勤でよく使う駅の近くのファミレスで号泣して、会社の人がいるかもしれないから勘弁してくれって言われたのを思い出す。研修は楽しかったけど、確実に疲れていてどっかやられてたと思うし、そのダメージがまだ残ってるのかもしれない。それにしても研修はほんと大変だった、、、楽しかったけど、それも含めてすごいストレスだったなー

この約束をしたけど、チケット買っちゃったけど、この日この時間私の気分はどんなかなーと想像するとキリがないので、行きたいイベントは今のうちに予約をしておこうと思う。ちゃんと行けるかな、全然わかんないね。

 

本当は彼氏以外の人にも会いたい。だいさんをカラオケに誘いたいなーとか、えいたろうさんとさきちゃんと3人でご飯食べたいなーとか、あるけど、家族以外の人と一緒に過ごすと、何を話していいかがまじで思いてかなくて、フリーズしたWin10みたいに頭の中で光の輪がクルクルクルクル何話そう、何話そう、クルクルクルクルってずーーーっと考えてしまって、自分が食べている皿うどんの器の中を覗いたりしてうつむいてしまう。飲み会があんまり好きじゃないから飲まないし、できれば2、3人で会いたいから、私のコミュ力に今日楽しく過ごせるかがかかっている!!!みたいなプレッシャーには到底勝てそうもない。彼氏の前では最近泣くことが多いけど、何も気にせずふざけたり、変なこと言ってみたらできるから、結局一番楽な相手だ。やっぱり今は、やみくもに人に会わない方がいいかもしれない。少しさびしいけど、まーもうちょっとしたらね。

大失敗

大森さんが「今日はみんなどこいくのー」ってツイートしてたから、「日本科学未来館!」ってリプしたのに、私の不機嫌が発動して、彼氏と別れたい別れたい別れたいモードになって泣き喚いてしまったせいで、今日の予定全部パーになりました。昨日からちゃんと約束して、今日はそこそこな時間に起きれて、ちゃんと出かける準備も低クオリティーながらもできて、ファミマで一緒に朝ごはんたべれたのに、あとは電車に乗るだけだったのになー。電車に乗る前に処方箋もらいたくて薬局に寄ったら、欲しかった薬がなくて、少し離れた薬局から取り寄せてもらうことになった。私は、今の自分の状態に全然自信がなくて、帰りに薬局に寄るというのもすごくハードルが高い気がして、今を逃せば一生薬もらえないかもと思っていたので、2〜30分薬が届くのを待ちたかったんだけど、彼氏の勉強時間がそのせいで足りなくなるんじゃないかっていうのも不安で、だって今は勉強時間が短くなっても仕方ないからいいよって言っても、帰り際にいつもすごく帰りたそうにされるのが悲しいから、そうなるならもう今日行くのやめようかって私がそういう気分になってしまって。会う前は、今回の三連休であれしたいなとか、これ食べたいなとか少しは考えるんだけど、三連休の中で朝を迎えるたびにその気力がシュンって無くなってしまって、ものすごく無気力だった。先週の方がまだマシだった。今回は、なーんにも大事にできなかった。

余裕で消えたいし、余裕で死にたい。一番大事なものを大事にできないなら、生きてる価値なんかない。来月も連休あんじゃんもうほんといらないんだけど。ずっと仕事してたい。

秋だというのに

この街は選択肢で溢れている。そのせいで、検索すら面倒くさくなっていく日々。私が求めにいかなくても、目に映るのは広告、広告、広告。弘前にいた頃はそもそもが退屈だったので、少しでも面白そうなイベントがないか目を光らせていたのに、掲示板に貼られたポスターになんの魅力を感じなくなったのは、いつ頃からかなぁ。

何に対しても無気力だから、生きることにも意欲が持てなくなっている今、一回外出しただけで2箇所も蚊に刺されてしまった。蚊にとっては私なんかただの食料にしか過ぎなくて、私も立派に食物連鎖に参加しているんだなーと少し嬉しくなる。かゆいのは辛いけど、それって一番シンプルに自分の存在意義を説明できることの一つなんじゃないだろうか。私の血を吸った蚊は、今日一日を全うすることができたかな、ちょっと気になる。

 

なんとなく続きが気になったから録画したテレビ番組も、大好きで何回も何回も聴いているラジオ番組も、私にとっては鬱々とした毎日を少しでもキラキラさせてくれるんじゃないかと思って、そういうアイテムを見つけるアンテナにピーンと引っかかったものしか選んでいないので、ツイッター見ながら流し見したり、途中で見るの辞めたり、そんな雑な扱いされるとすごく怒りたくなる。だから自分の好きなものを共有するの嫌いなんだよな… それだと一生誰とも何も楽しめないかもだけど、自分の好きなものは自分が生きるための必須アイテムで、娯楽ですらないので、まぁそんな姿勢誰もついてこれないよねって諦めつつある。今日は彼氏と、私が見たくて録画した佐藤健が出てるトーク番組を見てて、彼氏が明らかに退屈そうに「先に風呂入ってきていい?」ってものすごく顔をしかめるので、思わず怒ってしまった。私は、嘘でもいいから楽しくその番組を見終わりたかった。別にそんなに佐藤健大好きで大ファンってわけじゃないけど、私が気になって選んだもの、少しは一緒に楽しもうとしてくれてもいいんじゃないの!?!?と。私は自分の感情の中でも怒りの感情に一番自信が持てないので、これは本当に怒って良かったのかなってすごくくよくよしている。それでもなんか、だって気に障ったんだもん… 別にいいじゃん、そんな嫌そうな顔しなくったってさぁ…. せっかく楽しく見ようと思ったのに、すごく悲しかった。

 

だから逆を言うと、誰かが好きなものを同じテンションで好きになるのは得意!私が自分の好きなものを勧めてスルーされて落ち込む経験をすごくしてるから、何かを教えようとしてくれる人に対して全力で応えてしまう。結構疲れるけど、色んなものを教えてもらえて、得な性格だと思う。私が好きなものは私が信じてるからそれでいいのだ。