突破

1ヶ月、1週間を淡々と過ごし、3日後の約束を無意識に遂行することが、絶対に手に入らない憧れの毎日のようだ。起伏が激しくて疲れる。ついに持て余し、婦人科に行ってみた。

男の先生だった。生理の前にどうしても鬱っぽくなってしまうことや、問診に始まってからの量が多い、鎮痛剤は毎回飲むと書いたことを踏まえて、月経困難症と診断された。初めて知ったが、今ではそれは正式な「病気」らしい。お医者さんから、「生理が始まってからかなり経ってるけど、ずっと重かったんでしょう。よく我慢したね」と言われて、泣きそうになった。どうにもできなくて、ただただ絶望の月末が来るのが怖くて、どんなに楽しい週末を過ごしても1人の平日なんてすぐに吹き飛ばせるくらいかわいい雑貨を買っても、自分が女である限りこの死の1週間からは逃れられないんだとずっと悲しかった。低容量ピルを処方してもらった。中高生も飲んでいるから大丈夫、と先生。あとで調べると低容量ピルの他にも、超低容量ピルというものもあるらしく、私がもらったのはまさにそれだった。ホルモン剤を飲むなんて怖いイメージしか無かったが、副作用はそんなに酷くないこと、飲み続けることでの副作用は起きないこと、妊娠を考え始めたらやめればいいだけだということを知って、それ以上にあなたにとってメリットはたくさんあると思うよと言われ、飲んでみることにした。スムーズな社会人生活を送るためにも、今試しておくのはいいかもしれない。また1人、新しい味方ができた。

誰かが発する冗談、大丈夫という言葉以上に、120%自分が大丈夫じゃないと。私は大丈夫なんだし、将来もあるんだから。大丈夫なはずだし絶対。それでも道を歩きながら泣きじゃくるのはなんでだろう。おなかが空いたからスーパーに寄って、何を買えばいいのかわからなくなってただ籠を戻したり。電線にびっしり止まったカラス。急な寒くなって雪まで降ったから、帰れなくなってしまったのか。黒ひじき。ただ、忘れ物をしたから部屋に戻って、素直にカバンを受け取って。そういう普通が良かった。人の目を過剰に気にして好きなように振る舞えない自分が嫌い。みっともない。あの先輩のせいか。いや違うだろう。私の悲しみは全部身から出た錆だから、救われる資格もない。あの歌をなぞって、携帯鍵財布さえを持っていれば無敵。

踏まれたガム

院生になっても尚、ゼミの度にみんな死ねみたいな気持ちになるのやめたい。というか院生になってからの方がむしろ、そう思うことが増えたかもしれない。いつまで経っても、研究内容に対するこれじゃない感が拭いきれない。なんで歩行に関する研究やってるのに音声の録音について調べてんの?論点がずれてるのはわかってる。それが実験に必要なことだから、実験本番で失敗したくないから、ちゃんとやりたいから私だって慎重にやってる。本気を注いでも注いでも実にならない研究を追い続けるのはもうやめたい。頑張って書いた英語の論文も無かったことにされた。もうすぐ終わる。せいせいする。

世間的には必要とされてないけど難しいことを研究している学生は讃えられる。それが完成したら本当に世の中良くなるの?自己満足にしか私には見えない。世界はどんどんどんどん進んでいる。私の研究だって、どんどんどんどん追い抜かれる。もう遅いよそんなの。時代遅れも甚だしい。結局はお金があって人もいて、実行力の高い大学や会社や国が全部持っていく。そんな中で北の外れにあるちっさい大学があがいても無理だよ。無理だから、出来る範囲の振り幅を最高にして全部全部やるくらいじゃなきゃ満足いく結果は得られないよ。規模が小さいから出来ることもある。もうすでにやってる人がいるかもしれなくても、それさえも無理な空気が意欲を食っていく。そんな状況下にいてどうしてみんな笑えるの。楽しそうに友達作ったり出来るんだろう。わからない。院に進むのは大抵「就職に有利だから」。そんな意識で院に来て就職しても何にもならないよ。その意識の低さは絶対直らない。なんでくんだよ。

今日まともに挨拶したり会話をした人は、ゴミの回収をしていたおじさんと、廊下をほうきで掃除していたおばさんと、車椅子の学生の排泄補助のおばさんだけだ。みんな生きていれば何かしらの価値は絶対にある。でも私は、同じ研究室の人たちにそれを見出せない。軽蔑し続ける悪い癖が直らない。だから居られない。在室表示は性格的に本当無理すぎて、私の名前が書かれた磁石を持って帰ってきてしまった。はやくいなくなりたい。

すき煮

みんななんだかんだですごく先の将来について考えるの好きだよね。まだなんの行動もとってないからピンと来なくて当たり前なのにね。その距離感が愛おしいのかな。高校の頃に部活で、次うちらが幹部学年だねー!不安だねー!って言ってた時期のことを思い出す。うわーやだなー受験勉強もあるのに、とか、あの子がやっぱり部長になるのかな、とか。いざ始まっちゃうと味気なくなっちゃうけど、不安に感じている間は案外楽しかったりする。不確定要素についてあーでもないこーでもない言えるのは、同時に当事者でもないってことだ。だから、会社員のあれこれを想像して不安がるのを楽しむのは勝手だけど、当事者じゃないから当事者に向かって想像したそのまんまを言ったら怒られるか、呆れられるか、そのくらいかなぁ。来たるべきときに備えて構えておくことしかできないよなぁ。

根ほり

人の傷口を見て「あーこの人もダメな人だー」と思うのが好きなので、録画したねほりんぱほりんという番組を見てた。ゲストは毎回かなりパンチが効いた人たちなんだけど、聞き手のYOUと南海キャンディーズの山ちゃんの普通の人っぷりが面白い。格言ぽいこととか、芸能人のインタビューにありがちな意味不明な受け答えとかはいっさい無く、こっちが純粋に「なんで?」と思うことをリアルに聞いてくれるので、無理なく見れて楽しい。

今回見たゲストは「パパ活女子」。出会い系で出会った年上の男性と食事をし、もちろん奢ってもらい、さらに肉体関係無しでお小遣いをもらっている23歳。しかもそういう関係を築いている年上男性は1人ではなく5人。彼らからのお小遣いだけで月50万円稼げるそうだ。人生イージーモード…。ホテルのフロントでバイトをしていたときの年下の先輩はおじさん達からすごく人気で、本当の接客業を垣間見た気がした。ただのビジネスホテルのフロントなのに、プレゼントももらっていた。何か上げたくなるような好きになり方をされるって得だなーと思っていたけど、それを特に仕事でもなくやるって、いいような悪いようなだなと思った。一線はあるようで本当は全くないし、一回会っただけで知らない人から5万円ももらってしまうという状況が私にはとても耐えられない、弱味を握られることと同じだから。やっぱり自分が必要な物は自分の身の丈に合った物にしとくに限るし、援助を受けるなら信頼関係が築けている人からにするに限る。

かりんとうとコーヒー

#自殺願望 で、自分が望む結末を得られた人は何人いたんだろう。心の底から生きていることに絶望してようやく死ねたり、死にたい者同士会ってみたはいいものの結局死ねなかったり。今の死にたい消えたいっていう気持ちの根本的な原因が若さだとして、それが当人にとって希望になるか絶望になるかは人それぞれだよな。自分が逃げたいと思っているのは今目の前の現実であって、ここからあと何十年後の未来に希望を持てなんて言われても、そんなの出来るわけない。この先の自分は今の自分の延長線上でしか予測できないから。死ぬことは良くないって、なんでそんなこと言えるの?死んだことのないくせに。嫌なら生きろっていうのはそれなりに説得力が無いと聞けない言葉だね。自殺のつもりで結局殺されても、それが不幸なことだとは一概に言えないと私は思う。加害者と被害者の間の、側からみればひどく歪んでいて、でも当事者たちにとっては純粋な気持ちが、今の結果を生んでいる可能性だって捨てきれない。誰のことも、本当のことはわからない。今だけの相手だからこそ伝えられることって確かにある。