夏果て

私の生活にどん底の絶望に光を当てるような音楽を作ってくれていた大森靖子ツイッターアカウントが消えた。それが仮想的自殺にならないことは本人が一番わかってるんじゃないかな。ただ何となく、と一言では言えないほど、ただの一ファンにはわからない不甲斐なさやるせなさが積もった結果なんだと思う。

私は大森さんの人間らしいところがすごく好きだ。だから最近、神様みたいに崇められているのにはどうも違和感があった。人から散々悪口を言われてそれに真摯に傷ついて、それでも私には私の思想があるからってそれでファンを肯定するような歌を作っていた。自分の音楽がどんな人に需要があるかをちゃんとわかってるし、どうしたらファミマのゴミ箱の前に座ってるギャルとか、そのくらい色んな人の耳に入る音楽を作るにはどうしたらいいのかを必死に工夫して、継ぎ接ぎでも美しい歌を作っていた。あれほど誰かの生活をちゃんと歌おうとする歌手がいたのかな。私だって大森さんの活動の4年間くらいしかちゃんと知らないけど、その必死に作った努力が滲み出て血だらけになってる音楽が私には刺さったっていう、ただそれだけだ。

大森さんがいい歌を作ってくれればそれでいいし、いいライブをやってくれればそれでいい。別に会えたりとか、リプ送って返事が来たりとか、そんなの全然期待してない。幸せでいてくれないと音楽が作れない人だと思うから、そのために負けないでほしい。歌を作り続けて歌い続けることを諦めないでほしい。

しびれ

研究室で馴染めなくて恥ずかしくてまともな挨拶ができないのも私だし、朝ドラ見て泣くのも私だし、家族からずっと好かれていたいと思ってでもうまくいかないのも私だ。いつでも合理的に考えられるようにしたいのは自分の感情に振り回されたくないだけであって、生きていれば理屈で考えるとストンと落ち着く状況がたくさんある。そのつどそのつどでそうやって成長した結果友達は作れなくなったけどその分私の頭の中は大分スッキリしたなと感じる。研究室の扉に在室表示を自分の名字が書かれたマグネットで表す表があって、私はそれがどうも苦手で、研究室はブラック企業的いることに意味がある風潮が蔓延している(と研究室に馴染めない私は感じてしまう)ので、常に「帰宅」のところに私のマグネットが置かれている。多分在室表示に対して何かすごく深く考えてしまうのは私ぐらいだと思うんだけど、自分の中では研究室内の人間関係は終わってるしそもそも好きな人がいないし、自然にふるまうことができないことを諦めているようで、そこに縛られたくないと思えば思うほど縛られて気にしていることを突きつけられるようで、結構本気で嫌いだ。あの在室表示。考え過ぎの状態は要は、その考える事柄が余計なことであるから、自分の工夫でなんとか余計なことに考えの矛先が向かないように頑張るしかない。在室表示を見る度にうまくいっていない自分を感じてしまうのはきっと気のせいだ。それはそれ、これはこれ、誰かに好かれている私も私の一部だ。

早寝早起き

私が1人でいるときの最近の幸せは、あんまんまんのレシピ本と筋トレにある。あんまんまんのレシピ本は、ただ切るだけ、ただレンチンするだけ、ただ混ぜるだけ、みたいな簡単な料理ばっかりで、載ってる品数は決して多くはないけど、どれも作り方も味もやさしいものばかりだ。1人の食卓が充実すると、この栄養素を吸収するだけの頑張りを今日はしたし、明日もこれを生かして頑張るぞと思える。カップ麺は美味しいけど1人で食べるとなんとなく自分のことを粗末にしてる気がするから、私が作る食事で私を幸せにできるなら、そして手元にかわいいレシピ本があれば、気持ちの面での贅沢が少しでも長続きできるんじゃないかと思う。今日はナス寿司と、鶏肉とトマトの味噌蒸しを作った。ナス寿司は久々にヒットした料理で、想像通りの味なんだけど間違いなく美味しい。油で焼いたナスとゴマを混ぜた酢飯が合わないわけがない。鶏肉とトマトの味噌蒸しは、洋風みそ汁のような感じで、レンチンしただけとは思えないほどのトマトの旨味とふかふかの鳥ささみが本当に美味しかった。ほくほくした。

筋トレは、次の日筋肉痛になればなるほど何となく達成感があって嬉しい。私は腕立て伏せが1回もできないほど筋肉が無かったのに、少しずつ上半身にも筋肉が増えてきた気がする。体重計に乗っても私を喜ばせてくれるような数字が表示されることは無いけれど、汗かいてるし、筋肉がぷるぷるしてるし、実際の行動の方を信じて続けていきたいな。1人の時間を充実させる練習はしとかないと自立できないし、落ち込んだ時に立ち直れるツボの在り方は自分で見つけておかないといけない。少しの行き違いとか誰かの適当のせいとかどうにもならないことに邪魔されることもあるけど、対抗できるだけの光を手に入れたい。

白湯がしみる

大森さんの生命線が伸びたのは君のおかげだってラインくれた。公式アカウントだけど、あくまでも1対1の姿勢を保とうとしてくれる大森さんが大好きだ。

 

人間が面と向かって1対1で本気で向き合ったとき怪我をしない確率の方がずっとずっと小さいことを、母親に怒られる度に怒られてる私と一緒に傷を負ってボロボロになってる母を見てわかっていた。最初から家族としての立場が確立されてる同士でさえもそんな状態なのに、赤の他人とそこまで深い関係を結ぼうとすると、壁を乗り越えようとする度に致命傷を負って死にかけるのは当然だ。ただ、どんな情報だって停止も早送りも削除も自由にできるこの時代に、わざわざ自分の時間を削ってまで自分に向き合ってくれる悪趣味でおせっかいな他人がいることにそんな人と出会えた奇跡に感謝すべきなんだろうと痛感する。23歳にもなれば親だってめんどくさい説教はしなくなっていくしこっちだって今更そんなこと聞きたくないって思うのに、そこに踏み込んできて誤りを指摘してくれる、スルーせずに欠陥品がこれ以上流れていかないための手伝いを進んでしてくれる人なんて本当に珍しい。

 

発達障害とか精神病とかわざわざ診断を受けなくても、グレーゾーンのグレーと言われる部分は世界中の人の数だけあっていわゆる傾向の種類を数え上げてもきりがない。世間一般に言われている何かの型にはまる必要はないけれど、自分の性質をきちんと理解してそれに対する対策を用意しておくことは生きていく上で必要不可欠だ。私もきっと「何か」の性質を持っていてそれが原因で好きな人に迷惑をかけてしまって傷つけて、それでも自分の性格をいい方に変えていくことは絶対にできないと思うけど、上手に扱うことはできるだろう。様々なケースにぶち当たりながら確実な対応策を練って練って練りまくるしか方法はない。私を幸せにできるのは私しかいない。私が幸せになるためには「何か」とこれからの長い人生付き合っていかなくちゃならない。

論文が書き終わらない

毎日毎日自分の幸せを自分で壊すようなことにならないように慎重に生きていても無関係な何かや誰かにぶち壊されてそれを拾う気にもなれないほど落ち込むときってありますよね… 大好きな歌手のシングルを5時間待ってもヤマトさんが持ってきてくれないっていうただそれだけなんですけどね… 今日の悲しみは私のせいじゃない

宝島

北朝鮮のミサイルに完全に振り回されたせいで今日の私の午前中は失われた。青森には地下なんて存在しないも同然、耐震の次はミサイル攻撃に耐えうる建物なのかどうかというのも避難場所の判断基準になって、でもふと考えてみると危険は家の中にだっていくらでもあって致死率100%の環境下でみんな生きているわけで、突然危ないものが飛んでこようが全体の確率としては日常生活とそんなに変わらないような気がする。セブンの抹茶アイス高かったけど、あのとき食べといて良かった。死に対する最大限の抵抗は後悔せずに生きることしかないと思っているので、少しずつ何かを達成しながら毎日を重ねて生きていきたいです。f:id:schi145:20170829173242j:image

雨上がりの夜空に

寂しさを癒してもらうことを理由に人と会う約束をしても、相手がいくら親しい相手であってもろくな結果にならないことはこれまでの経験で何度も痛い目に遭っていてわかっているのにそうしてしまうのは本能なのだろうか。つらいときこそ人を頼れっていうのはなんて無責任な言葉なんだ。つらいときは自分が一番つらくて正解だし、それを相手にわかってもらう必要は無いと思うし、共有する必要もないと思うし、そういうの全部ナシって思っていてもやっぱり誰かに慰めてもらいたいし気分転換という名の時間の浪費に付き合ってほしい。大事な人ほど会うときの私は万全の状態にしていたいけど、無理だった!!私をその状態に持って行きたかったけど間に合わなかった!!不完全な私でごめん!!でも一緒にいてほしい!!っていうのを、喧嘩を経由してでもいいから心ごとわかって側にいてくれる家族はまじで聖人。苦手なことをわかってあげられなくて気づけなくてごめん。かわいくてもいいしかわいくなくてもいい。