カールとじゃがりこ

はあああああああああ親戚の相手マジでめんどくせえええええええええええええええ

 

あれですよね、お盆の親戚同士の集まりって生産性0どころか−∞にどこまでも発散していく自分の話の押し付け合い承認欲求の小競り合いばかりの暇を持て余した神々の遊びみたいな側面って絶対ありますね。そんな相手に自分の話をしたって、厚かましいくらいの共感してますよ感満載の仮面を被って自分の大事な地球を穴だらけにされるようで大嫌い。こっちはなんとかジェンガみたいにあっちを削ってこっちを埋めて日常生活をちまちま手作りして成り立たせて、お金が無かろうが友達がいなかろうが愛情が無かろうが、ごまかしごまかしで生きてる方がとりあえずいいんだってなんとか思い込もうとして生きてるんだよ私にだって色々あるんだよ年に2回しか話してない会話の内容がその人の全てだと考えるの迷惑行為の何ものでもないから今すぐやめた方がいいよ。

居場所がどこにも無かったから外に出て世界を一つ作り上げてきたのだけれど、まだ防御力がへなちょこで誰かが私と目を合わせてくれなかっただけで崩れ落ちそうで、でもそんなボロボロの世界こそ美しいし尊いものだと信じたい。いつでも帰れると信じたい。

土曜日、病院にて

うまくいってることだってそんなに無いけど私は私で幸せなんだよ満たされてるのに余計な心配しないでくれよ。

 

携帯電話の電波が他の機械に影響を及ぼすことはもうほぼないらしい。それは携帯電話が発達して発信する電波の量が出始めの頃より激減してるせいなんだって。それでも未だに優先席の近くで携帯電話を使ってる人がいると気になっちゃったり、病院に「携帯電話使用禁止」っていう張り紙があるとなんか使いにくかったり、科学的な理論が世の中に蔓延した空気を入れ替えるだけの力なんて本当は無いんじゃないかって思う。それよりもまだまだ「巷の噂話」が持つ力は強大で、それが間違っていようが正しかろうが共通の話題として盛り上がれればそれで十分、思考停止状態に陥って皆が喜んで食べているものは自分にとっても同じように美味しいに違いない、考えて判断することを忘れた人達がこれからもインターネットに溢れた情報をひたすらインプットインプットインプット。この間テレビに出てた偉そうな生物学者が、「人間は文化的な進化はこれからもするだろうが生物的な進化はもうできない」と言っていたが、そういうのも今の世の中の状態や人間の持ち物を考えれば仕方ないのかもしれない。

トリートメント後

大学にいるとほとんど笑わないどころかほとんど喋らないので表情筋がみるみる死滅していく気がして、そういう状況を作り出した諸悪の根源は私なんだけど、そのせいで顔が仏頂面のまま動かなくなったりほうれい線が深くなったりするのはめちゃくちゃ嫌だしなんか悔しいので、毎朝の小顔体操を頑張っている。だって喋りたい人がいないから喋らないし笑いのツボが合わないから笑えないだけなのにそのせいで顔が退化していくのって耐えられない!!!!23歳にもなれば自分の顔面偏差値がどの程度なのか突きつけられる機会が嫌でも増えていくので今さら可愛くなりたいとかは微塵も思わないけど、せめて自分だけは自分の状況を素直に受け入れたいし納得できる状態でありたい。だから世の中のお化粧に凝っているギャルも周りからみれば全然気にならない前髪をいつまでもいじくっている男の子も、皆自分のために外見を磨いているんだと思う。自分の理想に近づけているかそれに相応しい努力をしているかを毎日毎日鏡を見て確かめないと不安なんだろう。そんなおしゃれさん達から見ればクソみたいかもしれないちっちゃな自意識の芽が一応私にもあるので、その部分が顔のたるみをやたらと気にして私に小顔体操をやらせようとしてくるのだ。努力はできる範囲から。どうせ大して変わんないだろうけど。

機械

オープンキャンパスでした。オープンキャンパスは来た人にとにかく話しかけて研究室の設備なり展示なりを見せなきゃいけなくて、それでも私は1人でずっと参考文献探しという名のデスクワークをちりぽりやっているより人と話す方がずっと好きなんだけど、風邪を引いているというのもあって非常にだるかった。M2になってまで研究内容について嬉しそうに話す同期に研究紹介を丸投げし、ぼっち男子高生やぼっち女子高生を捕まえては研究室に引きずり込み、ちょっとでも楽しんでほしくてあれこれ会話を試みていた。他人の進路に対する考え方なんて本当に無関係だしどうでもいいけど、私が高校生の頃に行ったオープンキャンパスでの思い出がその後の大学選びにすごく影響があって、だからこそ下手なことは言えないし私が所属する機械系は実際就職にも有利だからそこを押せて良かった。機械工学っていうのは実際に物を作ってそれを人が使って生活が少し便利になって終わりというものではなくて、作った物で何かを計測したりしてその結果を使って世の中の概念的な部分に影響を及ぼすことができるものでもある、ということを女子高生に説明していて初めて自分がこんなことを喋っていて心底驚いた。このことを身を以て知るために、6年間かけて大学に通っていたのかもしれないとさえ思った。

魔法使いになる夢を見た。炎使いになる夢。最近ピクミンにはまっているから、炎タイプの赤、水タイプの青、電気タイプの黄色の3色それぞれの髪色の様々な魔法使いがお互いを攻撃し合っていた。覚醒途中、もうこれは夢で醒め切っているのもわかっているのに、目を閉じたままにしておけば永遠に覚めなくていいことになるような気がする。何となく体がだるくて自分が風邪を引いていたことを思い出す。日曜日に必ずしも元気に過ごせると思うなよとでも言われているような倦怠感。こういう日にインスタントラーメンやお惣菜をお昼に食べたときのほうが外食に比べて思い出深く感じるから不思議だ。結局気持ち次第で贅沢も節約生活も幸せに過ごせるということなのだろうか。そんなわけはなくただ単に家族が近くにいてくれて嬉しかったというただそれだけのことだろう。

憧れ

ぴたりと言い当てられたことのないふわふわした感情や景色に対して鋭い感性で言葉を当てはめていくことのできる人たちが確かにいる。そういう人たちが操る言葉の巧みさ、鋭さ、スピード感は凄まじくて、目に見えない気持ちの動き揺めきにまで色がついていくみたいだ。近頃はSNSが急速に発達したせいで、ネット回線と端末さえあればどこでも誰でも対世界の発信受信が可能で、下手で中身が空っぽの文章しか書けなくても何かしらの主になれる。ツイッターを開けば学生時代の友人期限がほぼ切れた人たちの店だの飯だのイベントだのの自慢話が飛び交う一方で、自分の主張が盛り込まれた上に読み手を惹きつける文章が書ける人が際立ってきている気がする。最初から上手く書ける自信はもちろん無いけれど「書く」ということをとにかく長く続けてみて、始めに書いたような感性が私の中で少しでも育っていくといいなと思う。大体のブログは自分のためのブログだと思うが、これもその限りだということです。